神埼市立脊振小学校
佐賀県神埼市にある小学校
神埼市立脊振小学校(かんざきしりつ せふりしょうがっこう)は、佐賀県神埼市脊振町広滝にある市立の小学校。
神埼市立脊振小学校 | |
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北緯33度22分39.0秒 東経130度19分39.6秒 / 北緯33.377500度 東経130.327667度座標: 北緯33度22分39.0秒 東経130度19分39.6秒 / 北緯33.377500度 東経130.327667度 | |
過去の名称 |
脊振尋常小学校 脊振尋常高等小学校 脊振村国民学校 脊振村立脊振小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 神埼市 |
校訓 | 石の門の教え |
設立年月日 | 1875年(明治8年) |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B141221000071 |
所在地 | 〒842-0201 |
佐賀県神埼市脊振町広滝580番地 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
概要
編集沿革
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- 1875年(明治8年) - 創立。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 市町村制施行により、神埼郡3村(広滝山・服巻山・鹿路山(名尾を除く))が合併して脊振村が発足。
- 1892年(明治25年)- 「脊振尋常小学校」と改称。
- 実施年月日不明 - 高等科を併置の上、「背振尋常高等小学校」に改称。
- 1900年(明治33年)- 久保山分校と鳥羽院分校を設置。
- 1914年(大正3年)3月 - 石門を建立[4]。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令の施行により、「脊振村国民学校」に改称。尋常科を初等科に改める。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革が行われる。
- 1982年(昭和57年)3月 - 新校舎が完成。
- 2003年(平成15年)3月31日 - 久保山分校と鳥羽院分校が閉校。
- 2006年(平成18年)3月20日 - 町村合併により、「神埼市立脊振小学校」(現校名)となる。
- 2022年(令和4年)10月 - 「脊振小学校石門」が国登録有形文化財に登録される[5]。
石門
編集学校のシンボルともなっている[5]校門は高さ4.3メートル[5]、太さ1メートル余り[5]、重さ13トン[4]の角柱が間口7.1メートル[5]で1対となった花崗岩製の大型の石門[4]で、国の登録有形文化財に登録されている[5]。1914年(大正3年)3月、当時の脊振村長であった徳川権七の発案により、大正天皇の即位記念、および村の教育・文化の発展を願って建立され、村民の手により石材の切出しから運搬、設置が行われた[4][6]。各面は江戸切り仕上げで、頂部には突起があり、かつては頂部に金属製の門飾りがあった[4]。
かつての分校
編集- 久保山分校(くぼやま)
- 所在地 : 神埼市脊振町服巻873番地5(北緯33度24分52.7秒 東経130度21分02.5秒 / 北緯33.414639度 東経130.350694度)
- 創立年 : 1900年(明治33年)
- 閉校年月日 : 2003年(平成15年)3月31日
- 閉校後の活用 : 社会教育施設「脊振山麓習遊館」として活用されている[7]。
- 久保山のヤマザクラ : 旧校庭にあるヤマザクラで、分校創立後間もなく植えられたと推定される。2015年(平成27年)に神埼市の天然記念物に指定されている[8]。
交通
編集- 最寄りの鉄道駅
- 最寄りのバス停留所
- 三瀬神埼線 「広滝」停留所
- 最寄りの幹線道路
周辺
編集脚注
編集- ^ 神埼市立小中学校通学区域一覧 - 神崎市ウェブサイト
- ^ 学校長より - 神埼市立脊振小学校ウェブサイト
- ^ 小規模特認校制度について - 神埼市ウェブサイト
- ^ a b c d e “背振小学校の石門”. 神埼デジタルミュージアム「かんざき@NAVI」. 神埼市. 2024年8月1日閲覧。
- ^ a b c d e f “脊振小学校石門”. 文化遺産オンライン. 文化庁. 2024年8月1日閲覧。
- ^ “「脊振小学校石門」を国登録有形文化財にするよう答申されました”. 神埼市ウェブサイト. 神埼市. 2024年8月1日閲覧。
- ^ a b 脊振山麓習遊館 - 神埼市ウェブサイト
- ^ “久保山のヤマザクラ”. 文化遺産オンライン. 文化庁. 2024年8月1日閲覧。