神光院
神光院(じんこういん)は、京都市北区にある真言宗系の単立寺院である。
神光院 | |
---|---|
本堂 | |
所在地 | 京都市北区西賀茂神光院町120 |
位置 | 北緯35度3分37.1秒 東経135度44分37.1秒 / 北緯35.060306度 東経135.743639度座標: 北緯35度3分37.1秒 東経135度44分37.1秒 / 北緯35.060306度 東経135.743639度 |
山号 | 放光山 |
宗派 | 真言宗系単立 |
本尊 | 弘法大師 |
創建年 | 建保5年(1217年) |
開基 | 慶円 |
札所等 | 京都三弘法 |
文化財 | 絹本著色仏眼曼荼羅図ほか(重要文化財) |
法人番号 | 4130005001745 |
概要
編集山号は放光山。本尊は弘法大師(空海)像で、「厄除け大師」として信仰されている。東寺(教王護国寺)、仁和寺と並ぶ京都三大弘法として有名であり、地元では「西賀茂の弘法さん」の愛称で親しまれる。毎年7月下旬には、空海がキュウリに疫病を封じて病気平癒を祈願したことにちなみ、厄病除けの祈祷「きゅうり封じ」(きうり加持)が行われる[1][2]。
静かな境内を舞台に、『銭形平次』や『御家人斬九郎』、『暴れん坊将軍』を始めとする、時代劇の撮影がたびたび行われてきた[3]。
四季を通して多様な花木が境内に咲くことでも知られる[4][5]。特に12月前後に境内に咲く、白い八重のサザンカは、当院にのみ存在する珍しい品種である[6][7]。
歴史
編集1217年(建保5年)、賀茂別雷神社(上賀茂神社)の神職松下能久が、「霊光の照らした地に一宇を建立せよ」との神託を受け、大和国から慶円を招いて寺を建立したという[8]。寺名はこの由緒にちなみ、「神光院」と名づけられた。
創建される前には、京都御所に奉納する瓦職人の宿に用いられており、「瓦屋寺」と呼ばれていた[9]。
空海が42歳の時に、当院で九十日間の修行を行ったとされる。修行を終えて寺を去る際に、境内の池に映る自らの姿を見て木像を彫り、厄除を祈願したといわれている。この木像は本堂に安置されている。同時に彼が眼病治癒の祈祷をしていたことから、眼病に利益のある寺としても広く知られるようになった[9]。
その後は密教の道場としても栄えたが、 天保年間(1830年 - 1843年)に堂宇を焼失している。
幕末の女流歌人で陶芸家の大田垣蓮月は、晩年の75歳から当院に隠棲していた。境内には「蓮月尼旧栖之茶所」と刻まれた石碑とともに、茶室(蓮月庵)が残されている。蓮月隠棲中の明治初期に、廃仏毀釈運動を受けて一旦は廃寺となったが、蓮月没後の1878年(明治11年)に僧侶、和田月心により再興された。
-
山門
-
蓮月庵
-
弘法大師(空海)石像
-
池のほとりに咲くサザンカ
文化財
編集重要文化財
編集- 絹本著色仏眼曼荼羅図
- 悉曇略記 寛治八年跋
- 細字金光明最勝王経 2巻
登録有形文化財
編集以下の5棟の建造物が2021年に国の登録有形文化財に登録された[10][11](官報告示を経て正式登録となる)。
- 本堂
- 中興堂
- 客殿
- 蓮月庵
- 山門
神光院旧蔵の国宝
編集以下の国宝3件は神光院の旧蔵である。
関連項目
編集脚注
編集- ^ 京都きらめき紀行 京ごよみ
- ^ きゅうり封じ、神光院
- ^ 時代劇の風景 ロケ地探訪 神光院
- ^ 京都旅楽【たびたの】きゅうり封じで有名な西賀茂の厄除け弘法さん
- ^ 写真日和 神光院の紅葉
- ^ 京都のお寺・神社 隠れた名刹 西賀茂の弘法さん 神光院
- ^ そうだ 京都、行こう。京都カレンダー 花暦
- ^ 徒然なるままに・・・ 西賀茂の名跡
- ^ a b わかさ生活研究所 ひとみ研究室 神光院
- ^ 令和3年2月26日文部科学省告示第15号
- ^ “文化審議会の答申(登録有形文化財(建造物)の登録)について”. 文化庁. 2020年11月25日閲覧。
外部リンク
編集- 京都新聞 ふるさと昔語り 蓮月庵 - ウェイバックマシン(2008年5月16日アーカイブ分)
- 京都人による京都案内 神光院 蓮月ゆかりの寺
- 神光院(ぶっだわーるど)