磯部昌朔
大日本帝国陸軍軍人
磯部 昌朔(いそべ しょうさく、1874年〈明治7年〉9月5日 - 1936年〈昭和11年〉4月1日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
磯部 昌朔 | |
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生誕 |
1874年9月5日 日本 石川県 |
死没 | 1936年4月1日(61歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1895年 - 1922年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
経歴・人物
編集石川県出身[1][2]。1895年(明治28年)陸軍士官学校第6期卒業[1][2]。1903年(明治36年)陸軍大学校第17期卒業[1][2]。
1914年(大正3年)8月に秋田連隊区司令官、1915年(大正4年)12月に陸軍歩兵大佐、1916年(大正5年)1月に歩兵第46連隊長、1918年(大正7年)7月に第18師団参謀長を経て、1919年(大正8年)7月に陸軍少将・歩兵第34旅団長に任官[1][2]。
栄典
編集脚注
編集参考文献
編集- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。