磯部保次
磯部 保次(磯辺、いそべ やすじ、1868年9月12日(明治元年7月26日[1]) - 1928年(昭和3年)12月4日)は、常陸国出身の政治家で実業家。星亨の配下。
経歴
編集常陸国笠間藩(現在の茨城県笠間市)に生まれる。1891年12月に慶應義塾正科を卒業し[2]、1895年、東京馬車鉄道に入る。1908年、立憲政友会から衆議院議員に当選し、大正3年に再選された。1909年、東京鉄道取締役に就任。1910年、東京瓦斯の前身である千代田瓦斯を設立。のち東京瓦斯常務。
ほか、旭工事株式会社社長、吾妻川電力、第二吾妻川電力、草津電気鉄道、ボルネオ殖産、日本曹達、隆文館、平和火災海上保険、須川電力、三協印刷、小倉鉄道、京王電気軌道、三ツ引商事の各会社取締役。
天台宗の信仰者であった。
親族
編集長女の節子は1927年2月22日に銀行員澁澤武と結婚、1928年5月8日に長男龍雄を出産。龍雄は、のちに澁澤龍彦の筆名で仏文学者・評論家・作家として知られた。
脚注
編集参考文献
編集- 三田商業研究会編 編『慶應義塾出身名流列伝』実業之世界社、1909年(明治42年)6月、87-88頁 。(近代デジタルライブラリー)
- 野依秀市 編『財界物故傑物伝 上巻』実業之世界社、1936年(昭和11年)。