碧潼郡(ピョクトンぐん)は、朝鮮民主主義人民共和国平安北道の北部に位置する

碧潼郡
位置
各種表記
チョソングル: 벽동군
漢字: 碧潼郡
片仮名転写: ピョクトン=グン
ローマ字転写 (MR): Pyŏktong kun
統計
行政
国: 朝鮮民主主義人民共和国の旗 朝鮮民主主義人民共和国
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地理

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鴨緑江を堰きとめて作られた水豊ダムのダム湖(水豊湖)のほとりに位置する。対岸は中華人民共和国である。

隣接行政区

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行政区画

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1邑・19里を管轄する。

  • 碧潼邑(ピョクトンウプ)
  • 鸛上里(クォンサンニ)
  • 鸛倉里(クォンチャンニ)
  • 南西里(ナムソリ)
  • 南中里(ナムジュンニ)
  • 南下里(ナマリ)
  • 大洞里(テドンニ)
  • 大豊里(テプンニ)
  • 東主里(トンジュリ)
  • 東下里(トンハリ)
  • 龍坪里(リョンピョンニ)
  • 麻田里(マジョンニ)
  • 社倉里(サチャンニ)
  • 城上里(ソンサンニ)
  • 城下里(ソンハリ)
  • 松連里(ソンニョンニ)
  • 松四里(ソンサリ)
  • 松三里(ソンサムニ)
  • 松二里(ソンイリ)
  • 永豊里(ヨンプンニ)

歴史

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1945年8月時点で、平安北道碧潼郡は、碧潼面・大平面・吾北面・時面・加別面・鸛会面・城南面・松西面の8面から構成されていた。

1952年12月、北朝鮮の行政区画改編に伴い、鸛会・城南・松西・碧潼面からなる碧潼郡が再編された(1邑20里)。東部にあった時・加別・吾北面は雩時郡として分割された。

年表

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この節の出典[1]

  • 1914年4月1日 - 郡面併合により、平安北道碧潼郡に以下の面が成立。(8面)
    • 郡部面・加別面・雩時面・城南面・松西面・大坪面・吾北面・鸛会面
  • 1918年 - 郡部面が碧潼面に改称。(8面)
  • 1940年 - 大坪面の一部が碧潼面に編入。(8面)
  • 1945年(光復直後) (7面)
    • 大坪面が碧潼面に編入。
    • 楚山郡城西面の一部が吾北面・雩時面に分割編入。
  • 1952年12月 - 郡面里統廃合により、平安北道碧潼郡鸛会面・城南面・松西面および碧潼面の一部地域をもって、碧潼郡を設置。碧潼郡に以下の邑・里が成立。(1邑20里)
    • 碧潼邑・麻田里・大豊里・松連里・大洞里・永豊里・南西里・東下里・社倉里・龍坪里・鸛倉里・鸛上里・会上里・南下里・南中里・城下里・城上里・松一里・松二里・松三里・松四里
  • 1953年 (1邑20里)
    • 碧潼邑が東主里に降格。
    • 松一里が碧潼邑に昇格。
  • 1954年 - 会上里が東倉郡に編入。(1邑19里)

脚注

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外部リンク

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