碓井 稔(うすい みのる、1955年4月22日[1] - )は、日本実業家機械工学者セイコーエプソン取締役会長。前・代表取締役社長。

うすい みのる

碓井 稔
 2010年。右の人物。左の人物は遠藤鋼一
生誕 (1955-04-22) 1955年4月22日(69歳)
長野県塩尻市
国籍 日本の旗 日本
職業 実業家、機械工学者
著名な実績 マイクロピエゾ方式インクジェットプリンターの開発
テンプレートを表示

来歴

編集

長野県塩尻市生まれ。父親は国鉄職員であった[2]

長野県松本深志高等学校から東京大学工学部へ進学。大手自動車関連メーカー勤務を経て、1979年11月に信州精器(現セイコーエプソン)に入社[2][3]

1988年、インクジェットプリンターの新方式ヘッド開発メンバーとなり、1990年にはKH(緊急ヘッド)プロジェクトのリーダーとなった[2][4]。これがマイクロピエゾ方式インクジェットプリンターの開発、商品化につながったことから「プリンターの父」とも称される[4]

 
ピエゾ方式の概要図
 
エプソンのインクジェットプリンター「PM-700C」

その後、役員、取締役を歴任し、2008年6月に代表取締役社長に就任[2][5]

2016年5月より、一般社団法人ビジネス機械・情報システム産業協会の会長を務めた[6]。2018年5月に退任し、副会長となった。

2020年、役員異動により、3月末日を以って代表取締役社長を退任。4月1日付で取締役会長に就任した[7]

人物

編集
  • 座右の銘は「究め極める」[3][5]
  • 休日には自身の地元であり、自社がスポンサーである松本山雅FCの試合観戦に訪れる[3]
  • 2001年、ヨハネス・グーテンベルク賞を受賞[8]
  • 2018年、藍綬褒章を受章[8]
  • 2019年、全国発明表彰発明実施功績賞を受賞[9]

脚注

編集
  1. ^ 木村剛士 (2008年8月11日). “エプソンの独創技術をもっと広く 法人市場もインクジェットで攻める”. 週刊BCN+. 2019年11月30日閲覧。
  2. ^ a b c d 碓井稔社長(セイコーエプソン)の「革新」を諦めない”. 日経ビジネス (2018年11月30日). 2019年11月30日閲覧。
  3. ^ a b c セイコーエプソン株式会社 碓井稔”. KENJA GLOBAL. 2019年11月30日閲覧。
  4. ^ a b “プリンターの父”セイコーエプソン碓井社長に聞く、「技術×経営」の極意”. ダイヤモンド・オンライン (2019年9月9日). 2019年11月30日閲覧。
  5. ^ a b 代表取締役社長 碓井 稔”. セイコーエプソン株式会社. 2019年11月30日閲覧。
  6. ^ 業界団体JBMIAの会長にセイコーエプソン碓井社長--環境規制の変化に対応”. ZDNet Japan (2016年5月28日). 2019年11月30日閲覧。
  7. ^ 代表取締役の異動および社長交代に関するお知らせ”. セイコーエプソン株式会社 (2020年1月31日). 2020年4月4日閲覧。
  8. ^ a b 分散型テクノロジーで持続可能な社会へ――碓井稔 セイコーエプソン社長”. SUSTAINABLE BRANDS JAPAN (2019年2月14日). 2019年11月30日閲覧。
  9. ^ セイコーエプソン、令和元年度全国発明表彰で乾式オフィス製紙機の発明が朝日新聞社賞 を受賞”. 日本印刷新聞社 (2019年5月24日). 2022年2月21日閲覧。

関連項目

編集

外部リンク

編集
先代
花岡清二
セイコーエプソン社長
2008年 - 2020年
次代
小川恭範
先代
松崎正年
ビジネス機械・情報システム産業協会会長
2016年 - 2018年
次代
山下良則