石田瑛二
石田 瑛二(いしだ えいじ、1929年〈昭和4年〉1月13日 - 1991年〈平成3年〉1月26日)または石田 英二は、日本のコメディアン[1][2][3]。
経歴
編集大阪出身[1]。本名は石田義昭[1]。マキノ光雄主宰のマキノ芸能学校から大阪天王寺の小劇場を経て、新宿フランス座に[3]。1959年に浅草フランス座が改修をおこない東洋劇場を増築、初代座長を務めた池信一のあと、二代目座長を務めた[4]。森繁久弥に実力を買われ東宝ミュージカルに抜擢[2]。舞台『屋根の上のヴァイオリン弾き』では居酒屋の主人役をつとめ好評を博した[3]。酒癖の悪さが有名で[2]、1991年、肝硬変で亡くなった[3]。