石田栄熊
大日本帝国陸軍軍人
石田 栄熊(いしだ えいぐま、1892年(明治25年)3月30日[1] - 1969年(昭和44年)8月21日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。功四級[2]
石田 栄熊 | |
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生誕 |
1892年3月30日 日本 鹿児島県 |
死没 | 1969年8月21日(82歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1915年 - 1945年 |
最終階級 | 陸軍中将 |
経歴
編集1892年(明治25年)に鹿児島県で生まれた[1]。陸軍士官学校第27期、陸軍大学校第39期卒業[1]。1938年(昭和13年)に陸軍歩兵大佐進級と同時に留守第7師団参謀長に任官された[2]。1939年(昭和14年)に陸軍兵器廠附となり[2]、1941年(昭和16年)に陸軍少将に進級[2]。
1942年(昭和17年)に第3野戦鉄道司令官となり、太平洋戦争に出動[1]。1943年(昭和18年)2月3日に第4特設鉄道司令官[1]、8月6日に第2鉄道監を兼任し[1]、1944年(昭和19年)に南方軍野戦鉄道司令官に転じる[1]。1945年(昭和20年)3月に陸軍中将に進級し[2]、内地に帰還。6月に第303師団長に親補され[1]、鹿児島県川内で終戦を迎えた[1]。同年8月27日には西部憲兵隊司令官に就任した[3]。
脚注
編集参考文献
編集- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。