石浜紅子
石浜 紅子(いしはま べにこ、1963年12月12日 - )は、エッセイスト、挿絵画家[1]。なにわの海の時空館元館長[2]。大阪府大阪市出身。
来歴
編集大阪市生まれ。作家・石濱恒夫の次女。姉は女優の京春上[3]。1977年、13歳のときに父・恒夫他1人と共に、ヨット[注 1]で大西洋横断(無寄港)を達成し[4][5][注 2]、ヨットの無寄港大西洋横断航海で世界最年少記録(13歳265日)樹立[5][6]。
上田安子服飾専門学校卒業。20歳代まで、民族学研究者のアフリカ、中央アジアなどの調査旅行に同行した[2]。のちに、エッセイや挿絵などを描く[7]。
1990年、大阪市立海洋博物館計画懇話会の委員となった[8]。 2000年7月14日に開館した「なにわの海の時空館」初代館長に就任し[9]、2010年に退任後は名誉館長を務めたが[10]、2013年3月10日閉館した。
出版
編集自著
編集- 『海よ、私はくじけない : 13歳・女子中学生の冒険』 光文社〈カッパ・ホームス〉、1979年3月25日、全国書誌番号:79016177[注 3]。
- 『わたしのシャングリラ』 ビレッジプレス、1997年12月、ISBN 4938598574[注 4]。
共著
編集- 『水都大阪盛衰記<新なにわ塾叢書3>★庶民の知恵、大阪の水運!』旭堂南海,松村博,石浜紅子,三木理史,堀田暁生,伊藤敏雄,秋山高廣(編集), 新なにわ塾叢書企画委員会(橋爪紳也・江弘毅・栗本智代・音田昌子) (編集), 大阪府立文化情報センター(編集) ブレーンセンター 2009/8/7
監修
編集- 『大阪市今昔写真集 : 西南部版』 樹林舎、2009年9月18日、ISBN 9784902731286。
- 『大阪市今昔写真集 : 東南部版』 樹林舎、2009年12月15日、ISBN 9784902731293[注 5]。
- 『大阪市今昔写真集 : 北部版』 樹林舎、2010年3月20日、ISBN 9784902731309[注 6]。
挿絵
編集参考文献
編集脚注
編集注釈
編集- ^ スループ型、全長9m、船名『まどもあぜる紅子』。
- ^ 1977年7月28日、アメリカ合衆国のメリーランド州アナポリスを出港し、同年9月2日、ポルトガルのリスボンに入港。航海日数は37日。
- ^ 1977年のヨット大西洋横断航海の手記。田辺聖子と対談。カバーに安岡章太郎、小松左京、イーデス・ハンソンの推薦文。
- ^ 目次「不思議の国紀行」、「この町に生まれ育って」、「日々のコラム」。
- ^ 執筆、編集協力 : 古川武志。
- ^ 執筆、編集協力 : 古川武志。
- ^ 2009年1月29日、大阪府立文化情報センター「さいかくホール」で行われた、『物見遊海 : 観光都市大坂』と題する、石浜紅子の講演収録(全55ページ)。
出典
編集- ^ a b 日外アソシエーツ現代人物より
- ^ a b 大阪府立文化情報センター等/編著『水都大阪盛衰記』 2009年, p.157。
- ^ 週刊平凡 1970年1月29日号 p.126 - 128「テレビ・インサイドストーリー 新人女優京春上の周辺を探訪」
- ^ 朝日新聞・東京版(夕刊) 1977年7月29日、8面『中2でっかい夏休み : 大西洋をヨット横断 : 父ら三人で一カ月半』(アナポリス(米メリーランド州)28日=安藤特派員)
- ^ a b 朝日新聞・東京版(朝刊) 1977年9月6日、23面『お見事…「でっかい夏休み」 : 中学二年、大西洋を横断 : 大阪のヨット「紅子」リスボン港に到着』(ロンドン 5日=ヨーロッパ総局)。
- ^ 自著『海よ、私はくじけない』 1979年, p.197。
- ^ 『水都大阪盛衰記』著者紹介
- ^ 朝日新聞・大阪版(朝刊) 2000年8月21日、29面『世界の海の交流体感 : なにわの海の時空館・石浜館長に聞く』(編集委員 林梓生)。
- ^ 朝日新聞・大阪版(朝刊) 2000年6月29日、35面『石浜紅子さん、「時空館」館長に : 来月14日オープン』。
- ^ “なにわの海の時空館名誉館長の称号贈呈式を行います。”. 大阪市 港湾局. 2010年3月31日 報道資料[リンク切れ]