石沢隆夫
石沢 隆夫(いしざわ たかお、1952年[3] - 2017年7月16日)は、千葉県出身の元陸上競技選手。専門は短距離走。男子100mの元日本記録保持者。
| ||||||||||||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
選手情報 | ||||||||||||||||||||||||
フルネーム | いしざわ たかお | |||||||||||||||||||||||
ラテン文字 | Takao Ishizawa | |||||||||||||||||||||||
国籍 | 日本 | |||||||||||||||||||||||
競技 | 陸上競技 (短距離走) | |||||||||||||||||||||||
種目 | 100m, 200m | |||||||||||||||||||||||
大学 | 早稲田大学 | |||||||||||||||||||||||
生年月日 | 1952年 | |||||||||||||||||||||||
出身地 | 千葉県[1] | |||||||||||||||||||||||
没年月日 | 2017年7月16日 | |||||||||||||||||||||||
死没地 | 千葉県松戸市 | |||||||||||||||||||||||
身長 | 183cm[2] | |||||||||||||||||||||||
成績 | ||||||||||||||||||||||||
地域大会決勝 |
アジア大会 200m 2位(1974年) 4x100mR 4位(1974年) | |||||||||||||||||||||||
国内大会決勝 |
日本選手権 100m 優勝(1972年) 200m 優勝(1971年) | |||||||||||||||||||||||
自己ベスト | ||||||||||||||||||||||||
100m | 10秒1(1973年) | |||||||||||||||||||||||
200m | 21秒4(1971年) | |||||||||||||||||||||||
| ||||||||||||||||||||||||
編集 |
経歴
編集大学は早稲田大学に進学。1971年に日本選手権男子200mで優勝。翌年の1972年には日本選手権男子100mで優勝し、神野正英の5連覇を阻止した。1973年にはアジア選手権の男子100mで銅メダル、男子4×100mリレーで金メダルを獲得。この大会の男子100m準決勝では10秒1の日本タイ記録をマークしたが、大会事務局は当初「風速計を読み違えた」として追い風参考記録と発表した。しかし、後に正式記録と訂正した[4]。1974年にはアジア大会男子200mで銀メダルを獲得。
大学で競技生活を終え、卒業後は朝日新聞社に入社。陸上の取材のほか、福岡国際マラソン、東京国際女子マラソン、横浜国際女子マラソンのレースディレクターを務めた[2][5]。
人物
編集現役時代は長髪とヘアバンドがトレードマークだった[5]。
主要大会成績
編集- 備考欄の記録は当時のもの
国際大会
編集年 | 大会 | 場所 | 種目 | 結果 | 記録 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
1973 | 第2回太平洋沿岸5カ国 | トロント | 4x100mR | 3位 | 40秒6 (2走) | |
第7回ユニバーシアード (en) | モスクワ | 100m | 8位 | 10秒68 (0.0) | ||
4x100mR | 予選 | 40秒91 (4走) | ||||
第1回アジア選手権 (en) | マニラ | 100m | 3位 | 10秒6 | 準決勝10秒1:日本タイ記録 | |
4x100mR | 優勝 | 40秒0 (1走) | ||||
1974 | 第7回アジア大会 (en) | テヘラン | 200m | 2位 | 21秒60 | |
4x100mR | 4位 | 40秒53 (2走) | ||||
『日本陸上競技連盟七十年史』参照[6] |
日本選手権
編集- 6位以内の成績を収めた大会を記載
年 | 大会 | 種目 | 結果 | 記録 | 備考 | |
---|---|---|---|---|---|---|
1969 | 第53回日本選手権 | 100m | 5位 | 11秒0 (+0.2) | ||
1970 | 第54回日本選手権 | 100m | 4位 | 11秒2 (-1.73) | ||
1971 | 第55回日本選手権 | 100m | 2位 | 11秒0 (-1.45) | ||
200m | 優勝 | 21秒9 (+0.75) | ||||
1972 | 第56回日本選手権 | 100m | 優勝 | 10秒7 (+1.6) | ||
1973 | 第57回日本選手権 | 100m | 2位 | 10秒5 (+3.7) | ||
1974 | 第58回日本選手権 | 100m | 5位 | 10秒7 (0.0) | ||
『日本陸上競技連盟七十年史』参照[7] |
日本記録
編集- 樹立した日本記録を記載
屋外
編集種目 | 記録 | 年月日 | 大会 | 場所 | 所属 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
4x100mR | 39秒9 | 1973年5月12日 | アジア親善 | ソウル | 日本代表 | 2走 |
4x100mR | 39秒9 | 1973年7月7日 | 国際競技会 | ビクトリア | 日本代表 | 2走 |
100m | 10秒1 | 1973年11月21日 | アジア選手権 | マニラ | 早稲田大学 | |
『日本陸上競技連盟八十年史』参照[8] |
日本ランキング
編集- 10位以内に入った記録を記載
年 | 種目 | ランク | 記録 | 所属 | ||
---|---|---|---|---|---|---|
1969 | 100m | 4位 | 10秒6 | 国府台高等学校 | ||
走幅跳 | 7位 | 7m48 | ||||
1970 | 100m | 10位 | 10秒7 | 国府台高等学校 | ||
1971 | 100m | 1位 | 10秒4 | 早稲田大学 | ||
200m | 2位 | 21秒4 | ||||
1972 | 100m | 2位 | 10秒4 | 早稲田大学 | ||
200m | 5位 | 21秒6 | ||||
走幅跳 | 6位 | 7m61 | ||||
1973 | 100m | 1位 | 10秒1 | 早稲田大学 | ||
200m | 4位 | 21秒5 | ||||
1974 | 100m | 10位 | 10秒6 | 早稲田大学 | ||
200m | 4位 | 21秒5 | ||||
走幅跳 | 5位 | 7m59 | ||||
『日本陸上競技連盟七十年史』参照[9] |
脚注
編集- ^ a b c “石沢隆夫氏、盲腸がんのため死去 陸上男子100メートル元日本記録保持者”. サンケイスポーツ (2017年7月19日). 2018年2月10日閲覧。
- ^ a b “走る姿、一目で才能発掘 後輩記者が石沢隆夫さん悼む”. 朝日新聞 (2017年7月18日). 2018年2月10日閲覧。
- ^ 『現代物故者事典2015~2017』(日外アソシエーツ、2018年)p.44
- ^ 日本陸上競技連盟七十年史編集委員会「アジア陸上競技選手権」『日本陸上競技連盟七十年史』、ベースボール・マガジン社、1995年9月4日発行、270-273頁。
- ^ a b c 「NEWSフラッシュ」『月刊陸上競技』第51巻第10号、講談社、2017年9月号、146頁。
- ^ 日本陸上競技連盟七十年史編集委員会「競技会記録 / 国際競技会」『日本陸上競技連盟七十年史』、ベースボール・マガジン社、1995年9月4日発行、1061-1123頁。
- ^ 日本陸上競技連盟七十年史編集委員会「競技会記録 / 日本選手権大会」『日本陸上競技連盟七十年史』、ベースボール・マガジン社、1995年9月4日発行、869-946頁。
- ^ 日本陸上競技連盟八十年史編集委員会「日本記録の変遷」『日本陸上競技連盟八十年史』、ベースボール・マガジン社、2005年10月22日発行、41-60頁。
- ^ 日本陸上競技連盟七十年史編集委員会「年度別日本10傑」『日本陸上競技連盟七十年史』、ベースボール・マガジン社、1995年9月4日発行、739-868頁。
記録 | ||
---|---|---|
先代 (10秒3) |
男子100m 手動計時・日本記録保持者 (10秒1) タイ記録保持者
1973年11月21日 - 1993年 |
次代 1993年以降電動計時のみ公認 |