石橋徳次郎
昭和時代前期の政治家、実業家
2代[1] 石橋 徳次郎(いしばし とくじろう、1886年(明治19年)2月23日[2] - 1958年(昭和33年)8月19日[1][2])は、昭和時代前期の政治家、実業家。福岡県久留米市長。前名は重太郎[3]。
経歴
編集先代・石橋徳次郎の長男として久留米城下荘島町に生まれる[3]。家業の仕立て屋「しまや」をつぎ、弟正二郎とともに業容を拡大。1918年(大正7年)「日本足袋株式会社」を発足、1922年(大正11年)貼付式ゴム底足袋、即ち、地下足袋を発明(1923年10月 実用新案登録番号第80594号)し発売。1936年(昭和11年)デパート旭屋(現.久留米井筒屋)を創立[3]。1938年(昭和13年)久留米市長に就任した[4]。ついで1942年(昭和17年)11月、久留米商工会議所会頭となった[3]。ほか、福岡県物産貿易協会社長、日本足袋、ブリヂストンタイヤ各取締役、久留米工場談話会長などを歴任した[4]。
栄典
編集- 勲章等
親族
編集脚注
編集参考文献
編集- 帝国自治協会『全国市長銘鑑 : 自治制実施五十周年記念』帝国自治協会、1938年 。
- 帝国秘密探偵社 編『大衆人事録 第14版 近畿・中国・四国・九州篇』帝国秘密探偵社、1943年 。