石廊 (給油艦)
石廊(いろう/いらう[旧仮名遣][2])は日本海軍の給油艦[4]。知床型給油艦の7番艦で[5]、艦名は静岡県・伊豆半島の石廊埼による[19]。
石廊 | |
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基本情報 | |
建造所 | 大阪鉄工所[1] |
運用者 | 大日本帝国海軍 |
艦種 |
(特務船)[2] 運送艦[3](給油艦[4]) |
級名 | 知床型[5] |
建造費 | 成立予算 1,500,000円[6] |
母港 | 呉(1923年時)[7] |
艦歴 | |
計画 | 大正7年度(1918年)、八六艦隊案[8] |
起工 | 1921年9月2日[9][1] |
進水 | 1922年8月5日[10][1] |
竣工 | 1922年10月30日[11][1] |
最期 |
1944年3月31日放棄 4月17日沈没 |
除籍 | 1944年5月10日[12] |
要目(主に1924年) | |
基準排水量 | 公表値 14,050トン[1] |
常備排水量 | 計画 15,400トン[1][13] |
満載排水量 | 15,404.7トン[4] |
軽荷排水量 | 5,406.9トン[4] |
総トン数 | 7,627.82総トン[4] |
全長 | 470 ft 9 in (143.48 m)[4] |
垂線間長 | 455 ft 0 in (138.68 m)[4] |
最大幅 | 58 ft 2+3⁄4 in (17.75 m)[4] |
深さ | 計画 35 ft 0 in (10.67 m)[13] |
吃水 |
計画 26 ft 6 in (8.08 m)[13] 軽荷平均 10 ft 4+9⁄16 in (3.16 m)[14] |
ボイラー |
片面煙管戻火式 4基(1923年時)[7] ロ号艦本式缶 4基(1938年時)[15] |
主機 | 直立3気筒3段レシプロ1基[15] |
推進 |
1軸 x 80rpm(計画)[16] 直径5.486m、ピッチ5.943m[16] |
出力 | 4,770馬力[4] |
速力 |
13.272ノット[4] 経済速力 7ノット[4] |
燃料 |
重油満載 1,180トン[4] 石炭 庫内1,612トン + 庫外610トン[4] |
航続距離 | 10,316カイリ / 8ノット[4] |
乗員 |
定員 157名[17] 公表値 155名[1] |
搭載能力 |
補給用重油 8,212トン + サマータンク1234.0トン[4] 缶水385トン、雑用清水420.8トン、飲料水138.8トン[4] 獣肉、魚肉、野菜、氷の各冷蔵庫[4] 載貨重量 上部645.48トン、下部872.75トン[4] |
兵装 |
50口径3年式14cm単装砲 2門[15] 40口径三年式8cm単装高角砲 2門[15] (竣工時に砲は装備していない[18]) |
搭載艇 | 内火艇1隻、カッター2隻、通船1隻[4] |
その他 |
2トン・デリック 4本[4] 便乗者用寝台 4床[4] |
トンはすべて英トン 計画要目は知床型給油艦も参照 |
艦歴
編集1918年(大正7年)度の八六艦隊案で計画され、大阪鉄工所(現:日立造船)桜島造船所で1922年(大正11年)10月30日に竣工、呉鎮守府籍となる。平時は北アメリカ[20]、ボルネオ島[21]など海外からの重油輸送に従事した。大正15年(1926年)11月30日にサンペドロ[要曖昧さ回避]に入港した時、アメリカ戦艦カリフォルニア (USS California, BB-44) とウェストバージニア (USS West Virginia, BB-48) に対して登舷礼を行ったものの、両艦に気づかれなかったということがあった[22]。また、停泊中にはペンシルベニア (USS Pennsylvania, BB-38) からアメリカンフットボール観戦の誘いがあり、乗員がペンシルベニア対オクラホマ (USS Oklahoma, BB-37) の対抗戦を観戦するという一コマもあった[23]。日本国内においても、1923年(大正12年)9月1日の関東大震災では品川方面に出動して救援物資輸送や通信など支援任務に従事した[24]。
1941年(昭和16年)10月31日に第四艦隊付属となり、12月8日の太平洋戦争開戦をクェゼリン環礁で迎えた。同日、ウェーク島の戦いに参加のためクェゼリンを出撃。ビキニ環礁で待機したが、最初の攻撃に失敗したため作戦は一時中止となり、12月11日にクェゼリンに帰投した[25]。以降は横須賀、トラック、ラバウル、マーシャル諸島間を往復した。1942年(昭和17年)6月に一旦呉に入港して呉海軍工廠において入渠整備を実施。整備後は従前どおり、トラックやラバウル、マーシャル方面への輸送任務に従事した。12月10日にジャルート環礁を出港し、サイパン島経由で12月26日に呉に入港[26]。1942年(昭和17年)1月14日に呉を出港し、馬公を経由して2月1日にトラックに到着[27]。
2月27日、「第二十一号駆潜艇」に護衛されてヤルートへ向かっていた「石廊」はアメリカ潜水艦「プランジャー」の雷撃を受け、被雷大破した[28]。翌日も雷撃を受けたが、すべて不発であった[29]。3月1日に「香取丸」に曳航されてヤルートへ向かうが、行き先はクェゼリンに変更され、3月5日に入港[30]。同地で応急修理を受けた[30]。 5月23日[31]、特設運送船「興津丸」に曳航され[32]、クェゼリンから合流してきた駆逐艦「追風」と第31号駆潜艇の護衛を受けて[33]ジャルートを出港[要検証 ]し、呉に向かう。行程のほとんどで敵襲を受けなかったが、6月10日早朝、北緯31度25分 東経132度25分 / 北緯31.417度 東経132.417度の宮崎県細島沖において[34]アメリカ潜水艦「ティノサ」の攻撃を受ける。ティノサは前日深夜に発見して追跡を続けており[35]、ティノサ艦長ローレンス・ランドール・ダスピット少佐は、この時点で最後に残っていた魚雷6本を全て使っての攻撃を決していた[36]。魚雷は2本が命中したと判断されたが、爆雷攻撃を受けて確認する事ができなかった[37]。被害は大事に至らず、11月いっぱいまで呉海軍工廠で修理を実施した。
修理が終わった後、12月8日に佐伯を出港するオ803船団に加入し、パラオ経由でバリクパパンに向かう[38]。以降はバリクパパンとパラオ間の輸送任務に従事する。1944年(昭和19年)3月15日、重油、ドラム缶、大発動艇を搭載して「鶴見」などとともにオ507船団を構成し、駆逐艦「春雨」「白露」、第36号哨戒艇などの護衛を受けてバリクパパンを出港してパラオに向かう[39]。しかし、3月22日朝に北緯07度22分 東経132度08分 / 北緯7.367度 東経132.133度の地点を航行中、アメリカ潜水艦タニー (USS Tunny, SS-282) の雷撃を受けて魚雷が1本命中し損傷する[40]。艦首部が沈んだものの応急修理を行った上、パラオに入港した[41]。3月30日、パラオで停泊中に第58任務部隊(マーク・ミッチャー中将)の艦載機によるパラオ大空襲を受け、航行不能となる。翌31日の再度の空襲で大破擱座し、放棄された。その後、翌月4月17日に船体が全没し、5月10日に除籍された。
艦長
編集※『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」に基づく。階級は就任時のもの。
- 艤装員長
- 特務艦長
- 岩沢安五郎 中佐:1922年10月30日[43] - 1923年11月10日[44]
- (心得)水野熊雄 中佐:1923年11月10日[44] - 1924年7月1日[45]
- (心得)富岡愛次郎 中佐:1924年7月1日 - 1924年11月10日
- 御堀伝造 中佐:1924年11月10日 - 1925年9月18日
- 緒方三郎 中佐:1925年9月18日[46] - 1926年3月5日[47]
- 鈴木勇 大佐:1926年3月5日[47] - 1926年5月20日[48]
- 小林晋 大佐:1926年5月20日[48] - 1926年10月15日[49]
- 立花一 中佐:1926年10月15日 - 1927年4月1日
- (兼)瀬崎仁平 大佐:1927年4月1日 - 1927年5月1日
- (兼)杉本道雄 大佐:1938年2月21日 - 1938年4月15日
- 石崎昇 大佐:1938年4月15日 - 1938年12月15日
- 朝倉豊次 大佐:1938年12月15日 - 1939年9月1日
- 堀江義一郎 大佐:1939年9月1日 - 1939年11月15日
- 仁科宏造 大佐:1939年11月15日 - 1940年3月10日
- 高橋雄次 大佐:1940年3月10日 - 1940年10月15日
- 猪口敏平 大佐:1940年10月15日 - 1941年5月24日
- 水口兵衛 大佐:1941年5月24日[50] - 1941年9月1日[51]
- 松田尊睦 中佐:1941年9月1日 - 1942年8月22日
- 北村富美雄 大佐:1943年4月27日 - 1944年3月30日戦死
脚注
編集- ^ a b c d e f g #海軍制度沿革巻十一の2pp.1057-1087、昭和3年2月14日附内令第43号、艦船要目公表範囲。うちpp.1084-1085。
- ^ a b #海軍制度沿革巻八pp.374-375『大正九年三月二十六日(達三一) 軍備補充費ヲ以テ大正九年度ニ於テ建造ニ著手スヘキ一等駆逐艦三隻二等駆逐艦八隻及特務船三隻ニ左ノ通命名ス(駆逐艦省略) 特務船三隻 尻矢(シリヤ) 石廊(イラウ) 鶴見(ツルミ)』
- ^ #海軍制度沿革巻八pp.103『大正九年四月一日(達四〇) 特務艦類別等級別表ノ通定ム (別表省略)』
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u #T14公文備考42/特務艦要目画像5-18、特務艦要目表(大正13年11月調)海軍省軍務局
- ^ a b #海軍制度沿革巻八pp.105『大正十五年十一月二十九日(内令二三九) 特務艦類別等級別表ノ通定ム (別表省略)』種別:運送艦、等級:(空白)、艦型:知床型、特務艦名:知床、能登呂、襟裳、佐多、鶴見、尻矢、石廊。
- ^ #戦史叢書31海軍軍戦備1p.259
- ^ a b #戦史叢書31海軍軍戦備1付表第二その三「大正十二年三月調艦艇要目等一覧表 その三 潜水艦、水雷艇、特務艦」
- ^ #戦史叢書31海軍軍戦備1pp.257-264
- ^ #T11公文備考33/特務艦鶴見、石廊、尻失製造一件(1)画像29、特務艦石廊工事予定概括表(大正十年十月三日調整)
- ^ #T11公文備考33/特務艦鶴見、石廊、尻失製造一件(1)画像8、『大正十一年八月五日午後八時二十分大阪発 九時三十五分海軍局着 (於大阪)呉鎮守府司令長官 海軍大臣 特務艦石廊本日午後五時五十分無事進水セリ』
- ^ #T11公文備考33/特務艦鶴見、石廊、尻失製造一件(2)画像4、『大正十一年十月三十日午後〇時 分大阪發 午後一時 分海軍局著 發信者(於大阪)綱島監督官 受信者艦政本部長 石廊本日(十月三十日)授受ヲ了ス (了)』
- ^ #S19.1-7内令/昭和19年5月画像30-32『内令第六百五十七號(中略)呉鎮守府在籍 特務艦 石廊 特務艦 明石 佐世保鎮守府在籍 特務艦 佐多 舞鶴鎮守府在籍 特務艦 大瀬 右帝國特務艦籍ヨリ除カル 昭和十九年五月十日 海軍大臣 嶋田繁太郎』
- ^ a b c #T7公文備考20/特務艦製造画像27、(参考)能登呂級給油船 Particulars of 8,000 Ton Oil Steamer. July 12th, 1918.
- ^ #T14公文備考42/特務艦要目画像5-6、前部6ft-7in3/8、後部14ft-1in3/4
- ^ a b c d #戦史叢書31海軍軍戦備1付表第四その二「昭和十三年三月調艦艇要目等一覧表 その二 潜水艦、水雷艇、特務艦、特務艇、新造艦船」
- ^ a b #海軍造船技術概要p.1726
- ^ #海軍制度沿革巻十の2pp.645『大正九年八月一日(内令二七七) 海軍定員令中左ノ通改正セラル 附表ノ通運送艦定員表其四ヲ加フ(附表略)』能登呂定員表の計欄、士官11人、特務士官2人、准士官3人、下士官26人、兵115人。同書p.647大正9年9月18日内令335知床追加、p.649同年12月16日内令497襟裳追加、p.651大正10年2月24日内令57佐多追加、p.658大正11年2月8日内令42尻矢追加、p.659同年3月14日内令77鶴見追加、p.663同年10月30日内令364石廊追加。#S19-10-31内令提要1上/第3類 定員(13)画像50、#S19-10-31内令提要1上/第3類 定員(14)画像1などから昭和19年まで戦時増員を除き定員の合計人数に変化はない。
- ^ 作成:阿部安雄「日本海軍補助艦艇要目表」#日本補助艦艇物語pp.388-391、特務艦の注1
- ^ 日本海軍艦船名考pp.259
- ^ 『第二十二回輸送報告』pp.3
- ^ 『石廊行動変更ニ関スル件』pp.7
- ^ 『第二十二回輸送報告』pp.4
- ^ 『第二十二回輸送報告』pp.7
- ^ 『震災救護日報第二十一号』pp.1
- ^ 『第四艦隊戦時日誌』C08030018200, pp.6,7
- ^ 『第四艦隊戦時日誌』C08030018400, pp.9,10,11
- ^ 『第四艦隊戦時日誌』C08030018400, pp.16,17,18,19
- ^ 『中部太平洋方面海軍作戦<2>昭和十七年六月以降』295ページ、The Official Chronology of the U.S. Navy in World War II
- ^ 『中部太平洋方面海軍作戦<2>昭和十七年六月以降』295ページ
- ^ a b 『中部太平洋方面海軍作戦<2>昭和十七年六月以降』296ページ
- ^ 『中部太平洋方面海軍作戦<2>昭和十七年六月以降』296ページでは、21日(何月かは書かれていない)にクェゼリン発
- ^ 駒宮, 132ページ
- ^ 『呉防備戦隊戦時日誌』C08030368100, pp.11
- ^ 『呉防備戦隊戦時日誌』C08030368100, pp.6
- ^ 「SS-283, USS TINOSA, Part1」p.11,19
- ^ 「SS-283, USS TINOSA, Part1」p.11
- ^ 「SS-283, USS TINOSA, Part1」p.12
- ^ 『呉防備戦隊戦時日誌』C08030368100, pp.26
- ^ 『第三十六号哨戒艇大東亜戦争戦時日誌』pp.8
- ^ 『第三十六号哨戒艇大東亜戦争戦時日誌』pp.9、「SS-282, USS TUNNY, Part 1」p.130、The Official Chronology of the U.S. Navy in World War II
- ^ 『第三十六号哨戒艇大東亜戦争戦時日誌』pp.9,10
- ^ 『官報』第3001号、大正11年8月2日。
- ^ 『官報』第3077号、大正11年11月2日。
- ^ a b 『官報』第3367号、大正12年11月12日。
- ^ 『官報』第3557号、大正13年7月2日。
- ^ 『官報』第3923号、大正14年9月19日。
- ^ a b 『官報』第4057号、大正15年3月6日。
- ^ a b 『官報』第4121号、大正15年5月21日。
- ^ 『官報』第4245号、大正15年10月16日。
- ^ 「海軍辞令公報(部内限)第642号 昭和16年5月26日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072081100
- ^ 「海軍辞令公報(部内限)第701号 昭和16年9月1日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072081900
参考文献
編集- アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
- 石廊特務艦長『第二十二回輸送報告』(特務艦 石廊 輸送報告) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C04015665200
- 『石廊行動変更ニ関スル件』(石廊行動変更に関する件) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C04015640000
- 海軍省『震災救護日報第二十一号』(震災救護日報(6)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08050980900
- 第四艦隊司令部『自昭和十六年十二月一日至昭和十六年十二月三十一日 第四艦隊戦時日誌』(昭和16年12月1日〜昭和19年8月31日 第4艦隊戦時日誌(1)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030018200
- 第四艦隊司令部『自昭和十七年十二月一日至昭和十七年十二月三十一日 第四艦隊戦時日誌』『自昭和十八年一月一日至昭和十八年一月三十一日 第四艦隊戦時日誌』(昭和16年12月1日〜昭和19年8月31日 第4艦隊戦時日誌(3)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030018400
- 呉防備戦隊司令部『昭和十八年六月一日昭和十八年六月三十日 呉防備戦隊戦時日誌』(昭和18年6月1日〜昭和18年11月30日 呉防備戦隊戦時日誌戦闘詳報(1)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030368100
- 呉防備戦隊司令部『自昭和十八年十二月至昭和十八年十二月三十一日 呉防備戦隊戦時日誌』(昭和18年12月1日〜昭和20年4月6日 呉防備戦隊戦時日誌戦闘詳報(1)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030368100
- 第三十六号哨戒艇 『自昭和十九年三月一日至昭和十九年三月三十一日 第三十六号哨戒艇大東亜戦争戦時日誌』(昭和18年6月1日〜昭和19年8月31日 第36号哨戒艇戦時日誌戦闘詳報(7)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030625200
- 『大正7年 公文備考 巻20 艦船1/特務艦製造』。Ref.C08021104600。
- 『大正11年 公文備考 巻33 艦船1/特務艦鶴見、石廊、尻失製造一件(1)』。Ref.C08050444600。
- 『大正11年 公文備考 巻33 艦船1/特務艦鶴見、石廊、尻失製造一件(2)』。Ref.C08050444700。
- 『大正14年 公文備考 巻42 艦船止/特務艦要目』。Ref.C08051419000。
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- 『昭和19年10月31日現在 10版 内令提要 巻1上/第3類 定員(13)』。Ref.C13072049000。
- 『昭和19年10月31日現在 10版 内令提要 巻1上/第3類 定員(14)』。Ref.C13072049100。
- SS-179, USS PLUNGER(issuuベータ版)
- SS-282, USS TUNNY, Part 1(issuuベータ版)
- SS-283, USS TINOSA, Part1(issuuベータ版)
- 海軍省 編『海軍制度沿革 巻八』 明治百年史叢書 第180巻、原書房、1971年10月(原著1941年)。
- 海軍省 編『海軍制度沿革 巻十の2』 明治百年史叢書 第183巻、原書房、1972年4月(原著1940年)。
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- 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝 全八六〇余隻の栄光と悲劇』光人社、1993年、ISBN 4-7698-0386-9
- 駒宮真七郎『戦時輸送船団史』出版協同社、1987年、ISBN 4-87970-047-9
- 林寛司・戦前船舶研究会「特設艦船原簿」「日本海軍徴用船舶原簿」『戦前船舶 第104号』戦前船舶研究会、2004年
- 『世界の艦船 増刊第47集 日本海軍特務艦船史』海人社、1997年3月号増刊
- 福井静夫『日本補助艦艇物語』 福井静夫著作集第10巻、光人社、1993年12月。ISBN 4-7698-0658-2。
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- 牧野茂、福井静夫 編『海軍造船技術概要』今日の話題社、1987年5月。ISBN 4-87565-205-4。
- 雑誌「丸」編集部 編『写真 日本の軍艦 第13巻 小艦艇I』光人社、1990年8月。ISBN 4-7698-0463-6。