石巻市立釜小学校
宮城県石巻市にある小学校
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石巻市立釜小学校 | |
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過去の名称 | 釜国民学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 石巻市 |
設立年月日 | 1946年 |
共学・別学 | 男女共学 |
学校コード | B104222020043 |
所在地 | 〒986-0859 |
外部リンク | 公式サイト |
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沿革
編集- 1946年(昭和21年)
- 門脇小学校から釜国民学校として独立(児童数:447名 学級数:8学級)
- 5月7日 - 校歌制定
- 1951年(昭和26年)
- 完全給食実施
- 1956年(昭和31年)
- 校旗樹立
- 1970年(昭和45年)
- 新校舎(現在地)へ移転
- 1972年(昭和47年)
- 体育館落成
- 1974年(昭和49年)
- プール落成
- 1981年(昭和56年)
- 玄関前に校歌碑建立
- 1988年(昭和63年)
- 完全給食方式からセンター方式に移行
- PTAバザー実施
- 1997年(平成9年)
- 図工室新築
- 1998年(平成10年)
- 「釜小農園」開設
- 「なしの木学級」(弱視学級)設立
- 1999年(平成11年)
- 6月 -「なかよし学級」(情緒障害学級)設立
- 2000年(平成12年)
- 「なしの木学級」(知的障害学級)設立
- 2001年(平成13年)
- 「ひまわり学級」(肢体不自由学級)設立
- 2007年(平成19年)
- 「なかよし学級」(情緒障害児学級)設立
- 2011年(平成23年)
- 3月11日 - 東北地方太平洋沖地震にて罹災、避難所開設
- 10月6日 - 避難所閉鎖
- 2013年(平成25年)
- 震災復興工事完了
- 2014年(平成26年)
- 校訓制定
- 2015年(平成27年)
- 「梨のふるさと釜」石碑建立
- 2017年(平成29年)
- キャッチフレーズである「やさしく」「かしこく」「たくましく」の看板を四階ベランダに設置
- 2020年(令和2年)
- 3月2日 - 新型コロナウイルス感染症の世界的流行を受けて休校[1]
東日本大震災による被害
編集東日本大震災の際、付近にある石巻市泉町・門脇の地震計は両方とも震度6弱を記録していた[2]。
人的被害
編集児童24名が犠牲、1名が行方不明という甚大な被害を受けた[1]。
物的被害
編集校舎一階が約1.3mの高さまで、体育館がステージ高付近まで浸水した[1]。
また、プールが水没、ボイラーが被災した[1]。
学区
編集学区は以下の通りである[3]。
- 中島町
- 重吉町
- 西浜町
- 築山一丁目・二丁目・三丁目・四丁目
- 三ツ股一丁目・二丁目・三丁目・四丁目
- 中浦一丁目・二丁目
- 新館一丁目・二丁目・三丁目
- 中屋敷一丁目・二丁目
- 大街道西一丁目(2番39号、2番51号から2番53号まで、4番、12番)・二丁目・三丁目
- 門脇
- 字浦屋敷
- 字捨喰
- 字明神
- 字鷲塚
- 字下鷲塚
- 字元明神
- 字元捨喰
- 字元浦屋敷
- 字青葉東
- 字青葉西
- 字一番谷地
- 字二番谷地
校章について
編集1946年(昭和21年)の開校と同時に設定された校旗は「古くから釜・大街道地区に梨園が数多くあり、地方の特産として有名であった」ことから梨の花の図案が用いられ、この図案は一貫して変わらず、現在に至っている。また、1957年(昭和32年)9月1日から児童に佩用させた、バッチ・帽章と同時に製作した「わかば会旗」も同様の図案になっている。[要出典]
脚注
編集- ^ a b c d 石巻市立釜小学校-学校沿革の概要
- ^ 石巻市-2 災害状況の整理(東日本大震災の災害検証)-2020年12月28日閲覧。
- ^ 小学校の学区一覧-石巻市