石巻市立寄磯小学校
宮城県石巻市にある小学校
石巻市立寄磯小学校(いしのまきしりつ よりいそしょうがっこう)は、宮城県石巻市寄磯浜にある公立小学校[1]で、石巻市の東南端に位置する牡鹿半島の東に突き出た寄磯岬[2]にある。寄磯と前網の2地区があり、南に金華山、西北西側に東北電力女川原子力発電所がある。東日本大震災による地震・津波により大きな被害を受けた地域に立地している。地区の保護者のほとんどが20トン前後の中・小型船による近海漁業や、湾内でのホタテ・ホヤなどの養殖漁業のような漁業に関係した仕事に携わっている。
石巻市立寄磯小学校 | |
---|---|
石巻市立寄磯小学校 | |
北緯38度23分29秒 東経141度31分23秒 / 北緯38.391492度 東経141.52295度座標: 北緯38度23分29秒 東経141度31分23秒 / 北緯38.391492度 東経141.52295度 | |
過去の名称 | 牡鹿町立寄磯小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 石巻市 |
共学・別学 | 男女共学 |
学校コード | B104222020249 |
所在地 | 〒986-2404 |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
沿革
編集- 1873年(明治6年) - 第7大学区第2中学校区陸前国牡鹿郡谷川小学校区となる。
- 1875年(明治8年) - 谷川小学校の支校として開設。
- 1879年(明治12年) - 12月9日、寄磯小学校独立、前浜56番地に校舎新築。
- 1880年(明治13年) - 8月の寄磯大火災で焼失。
- 1881年(明治14年) - 前浜56番地に、校舎新築。
- 1882年(明治15年) - 寄磯初等小学校と改称。
- 1910年(明治43年) - 前浜76番地に校舎新築。
- 1934年(昭和9年) - 寄磯国民学校と改称。
- 1947年(昭和22年) - 大原村立寄磯小学校と改称。
- 1951年(昭和26年) - 木造平屋校舎を新築。
- 1955年(昭和30年) - 牡鹿町立寄磯小学校と改称。
- 1962年(昭和37年) - 木造2階建て校舎新築。
- 1963年(昭和38年) - 学校給食開始。
- 1966年(昭和41年) - 完全給食開始。
- 1986年(昭和61年) - 校庭にブランコ・すべり台・シーソー・鉄棒などを設置。
- 1989年(平成元年) - プール完成。
- 1992年(平成4年) - 9月より月1回の学校週五日制を実施。
- 1998年(平成10年) - インターネット接続のパソコン7台設置。
- 2002年(平成14年) - 学校週五日制完全実施。
- 2005年(平成17年) - 石巻市立寄磯小学校と改称。
- 2011年(平成23年) - 3月11日東日本大震災発生。児童のケガ等はなし。学区内の多数の家屋・倉庫が流出。体育館が避難所になる。
- 2012年(平成24年) - 新入児童1名。被災した教員住宅解体撤去。
- 2014年(平成26年) - 新入児童1名。特別支援学級新設。
- 2018年(平成30年) - BS-TBS「校歌を訪ねて」収録。全国放送される。
- 2020年(令和2年) - 新型コロナウィルス感染拡大防止のため,全国一斉休校措置。6月1日より授業再開。
- 2023年(令和5年) - 宮城県代表として6年児童が,文科省で行われた全国いじめ問題防止サミットに出席した。
- 石巻市立大原小学校との週1日の交流学習開始。
- 2024年(令和6年) - 新入児童1名。3年ぶりの入学式ということで,新聞・テレビ4社より取材を受ける。
児童数の推移
編集1887年 | 29 | |
1934年 | 107 | |
1955年 | 111 | |
1959年 | 154 | |
1996年 | 42 | |
2005年 | 25 | |
2011年 | 17 | |
2012年 | 14 | |
2013年 | 14 | |
2014年 | 9 | |
2015年 | 11 | |
2016年 | 11 | |
2017年 | 10 | |
2018年 | 9 | |
2019年 | 8 | |
2020年 | 7 | |
2021年 | 8 | |
2022年 | 6 | |
2023年 | 2 | |
2024年 | 2 |
教育目標(令和6年度)
編集- 共に楽しく学ぶ 寄磯の子
~仲間と共に 地域と共に 他校と共に~
- 目指す児童像
- 豊かな体験を通して楽しく学ぶ子(知)
- 自分の良さ 地域の良さを大切にする子(徳)
- 楽しくチャレンジする子(体)
学区
編集- 寄磯浜
- 前網浜
卒業生の進路
編集公立中学校の場合