石川 魚麻呂(いしかわ の うおまろ、生没年不詳)は、奈良時代から平安時代初期にかけての貴族。姓は朝臣。官位は従五位下・左京大夫。
桓武朝前期の延暦3年(784年)従五位下・左大舎人助に叙任される。延暦5年(786年)大和国班田左次官に任ぜられると、延暦6年(787年)摂津亮次いで丹後守と地方行政に携わった。
延暦18年(799年)右少弁次いで左少弁と桓武朝後期に弁官を務めるが、その後も従五位下の叙位から20年以上昇叙されることはなかった。延暦25年(806年)平城天皇の即位後まもなく左京大夫に任ぜられている。
『六国史』による。