石川長津
石川 長津(いしかわ の ながつ)は、平安時代初期の貴族。名は永津とも記される。官位は正五位下・木工頭。
時代 | 平安時代初期 |
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生誕 | 延暦4年(785年) |
死没 | 斉衡元年12月3日(854年12月26日) |
別名 | 永津 |
官位 | 正五位下・木工頭 |
主君 | 嵯峨天皇→淳和天皇→仁明天皇→文徳天皇 |
氏族 | 蘇我氏流石川氏 |
経歴
編集弘仁10年(819年)内舎人に任ぜられたのち、嵯峨朝では右京大進・修理大進・民部大丞・皇太后宮少進を歴任する。弘仁14年(823年)淳和天皇の即位に伴い、従五位下・大和介に叙任される。天長8年(831年)木工助を経て、天長9年(832年)従五位上に叙せられる。
仁明朝の承和10年(843年)加賀介として地方官に転じ、嘉祥2年(849年)正五位下に昇叙される。文徳朝の仁寿2年(852年)木工頭。斉衡元年(854年)12月3日卒去。享年70。最終官位は木工頭正五位下。
人物
編集工芸の技術に優れ、精勤を宗とした。木工寮の官職を頻繁に務めたが、木工寮内にて公務を務めている間に頓死した。父・河主から受け継いだ数千巻の文書を一棟の建物に所蔵していたが、長津の没後に文書は散逸し行方知れずになってしまったという[1]。
官歴
編集『六国史』による。