石川継人
石川 継人(いしかわ の つぐひと)は、平安時代初期の貴族。名は嗣人とも記される。官位は従四位上・玄蕃頭。
時代 | 平安時代初期 |
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生誕 | 天平13年(741年) |
死没 | 天長3年1月3日(826年2月12日) |
別名 | 嗣人 |
官位 | 従四位上・玄蕃頭 |
主君 | 桓武天皇→平城天皇→嵯峨天皇→淳和天皇 |
氏族 | 蘇我氏流石川氏 |
経歴
編集桓武朝の延暦13年(794年)従五位下に叙爵し、延暦16年(797年)備後守に任ぜられる。平城朝の大同3年(808年)従五位上・玄蕃頭に叙任される。
嵯峨朝後半以降は順調に昇進して、弘仁10年(819年)正五位下、弘仁13年(822年)従四位下に昇叙され、淳和朝の天長元年(824年)従四位上に至る。天長3年(826年)1月3日卒去。享年86。最終官位は散位従四位上。
人物
編集質素な性格で、飾り立てるような所がなかった。内外の諸官を歴任したが、特に世間の評判にのぼることはなかった。国家の元老として高位に叙せられた[1]。
官歴
編集『六国史』による。