石川 次郎(いしかわ じろう、1941年7月5日 - )は、東京都生まれの雑誌編集者で、CNNj放送番組審議会委員を務める。

いしかわ じろう
石川 次郎
生年月日 (1941-07-05) 1941年7月5日(83歳)
出生地 東京都
国籍 日本の旗 日本
学歴 早稲田大学
職業 編集者
活動期間 1966年 -
活動内容 雑誌編集者
他の活動 テレビ司会者

経歴

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7人姉弟で姉6人の末子として生まれる[1]。戦後まもなく父が他界して母親に育てられる[1]杉並区立高井戸中学校[2]で美術部に所属して絵描きを志望した[1]。高校受験で第1志望の東京都立西高等学校に不合格となり、第2志望の東京都立富士高等学校へ進学[3]する。

平凡出版創業者の1人である清水達夫は、清水の娘と同級生であることから意気投合する。早稲田大学へ進学後、清水から企画の相談を受ける[4]

1964年に大学を卒業して旅行代理店に就職するも2年後に退職し、平凡出版へ入社[3]して『平凡パンチ』の編集を担当する。

1973年に異動を契機にして退職[5]し、同時期に退職した木滑良久と『週刊読売』別冊特集などを手掛け、男性向けファッション雑誌の企画[5]を構想する。1975年に清水が平凡出版で社長に就くと木滑とともに再び入社し、1976年に『POPEYE』を創刊[6]する。以後木滑とともに1980年に『BRUTUS』、1986年に『ターザン』、1989年に『GULLIVER』を、それぞれ創刊して編集長を務めた。

1993年に再び退職して編集プロダクション「JI inc.」を設立する。

1994年から2002年までテレビ朝日で深夜番組『トゥナイト2』のキャスターを務めた。

ラジオ番組『コサキン』の葉書コーナーで「夜更かしエスキモー」と称された。

出演

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テレビ

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脚注

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  1. ^ a b c (人生の贈りもの)編集者・石川次郎:4 「外で遊べ」母の教えを息子にも”. 朝日新聞デジタル. 朝日新聞社 (2014年10月23日). 2015年2月10日閲覧。
  2. ^ 『杉並区立高井戸中学校創立70周年記念誌』「母校を語る」石川次郎 参照
  3. ^ a b 島地勝彦 (2014年10月4日). “石川次郎 第1回「第1志望の高校に受かっていたら、その後のぼくの編集者人生はなかったと思う」”. 現代ビジネス 倶楽部SHIMAJI. 講談社. 2015年2月7日閲覧。
  4. ^ (人生の贈りもの)編集者・石川次郎:1 受験に失敗、挫折が引き寄せた縁”. 朝日新聞デジタル. 朝日新聞社 (2014年10月20日). 2015年2月10日閲覧。
  5. ^ a b (人生の贈りもの)編集者・石川次郎:2 新企画ひっさげ、出版社に出戻り”. 朝日新聞デジタル. 朝日新聞社 (2014年10月21日). 2015年2月10日閲覧。
  6. ^ 島地勝彦 (2014年10月22日). “石川次郎 第3回「編集長の仕事で重要なのは、どれだけ面白いヤツを編集部に引き込めるかでしょうね」”. 現代ビジネス 倶楽部SHIMAJI. 講談社. 2015年2月7日閲覧。