石川弘 (衆議院議員)
石川 弘(いしかわ ひろむ、1878年1月25日[1] - 1929年1月3日[2])は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。
石川弘 いしかわ ひろむ | |
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生年月日 | 1878年1月25日 |
出生地 | 日本 大阪府 |
没年月日 | 1929年1月3日(50歳没) |
出身校 |
大阪府立農学校修了 (現・大阪府立大学[注釈 1]) |
前職 | 農業 |
所属政党 | 立憲民政党 |
選挙区 | 大阪府第4区 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1928年2月20日 - 1929年1月3日 |
大阪市会議員 | |
在任期間 | 1925年 - 1929年1月3日 |
第27・28代 大阪府会副議長 | |
在任期間 | 1919年10月21日 - 1927年9月24日 |
選挙区 |
(東成郡選挙区→) 東成区選挙区 |
当選回数 | 3回 |
在任期間 | 1919年9月25日 - 1927年9月24日 |
東成郡会議長 | |
その他の職歴 | |
東成郡会議員 (? - ?) | |
小路村会議員 (? - ?) | |
小路村長 (? - ?) |
経歴
編集大阪府出身[2]。1895年、大阪府立農学校(現・大阪府立大学[注釈 1])修了。農業を営む[2]。東成郡小路村[注釈 2]長、同村会議員、東成郡会議員、同議長、所得税調査委員、東成郡農会長、大阪府農会長となる[2]。
1919年6月10日の大阪府会議員補欠選挙に東成郡から立候補したが、落選した[3]。同年9月25日の選挙で初当選を果たした[3]。同年10月21日から第27代同副議長となった[4][5]。1923年9月25日の選挙で再選を果たした[3]。同月、第28代副議長に再任された[4][5]。1925年7月に東成区選出議員となった[6]。同年、大阪市会議員となった[7]。1927年9月24日の任期満了で府会議員と同副議長を退任した[4][8]。
1928年の第16回衆議院議員総選挙において大阪4区から立憲民政党公認で立候補して当選した[9]。衆議院議員を1期務め、1929年1月3日衆議院議員及び大阪市会議員在職中に死去した[7][注釈 3]。
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ 衆議院『第五十五回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1928年、5頁。
- ^ a b c d 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』59頁。
- ^ a b c 『大阪府会史 第3編上巻 96コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ a b c 『大阪府会史 第3編上巻 58コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ a b “大阪府議会歴代議長・副議長一覧”. 2024年8月6日閲覧。
- ^ 『大阪府会史 第3編上巻 89コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ a b 『大阪市政の八年 103コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『大阪府会史 第3編上巻 44コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』84頁。
- ^ 『議会制度百年史 院内会派編衆議院の部』355頁。
- ^ 『議会制度百年史 院内会派編衆議院の部』357頁。
参考文献
編集- 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 院内会派編衆議院の部』大蔵省印刷局、1990年。