石原須磨男
日本の俳優
経歴
編集当初は、「石原須磨夫」名義で活動しており、中学を中退した後の1921年(大正10年)に新声劇に入団。後に、女優・栗島すみ子の父にあたる栗島狭衣に師事して栗島プロに参加。1930年(昭和5年)、松竹下加茂撮影所に入社、1932年12月の『忠臣蔵 前篇〜赤穂京の巻〜』にて初出演。
1947年大映に移籍。以後、『お遊さま』(1951年)『近松物語』(1954年)『山椒大夫』(同)などの溝口健二監督作品や時代劇で高齢者役を演じ、大映倒産後は『木枯らし紋次郎』(1972年)などテレビにも多数出演。
記録上最後の出演作は『丹下左膳 剣風!百万両の壺』(フジテレビ、1982年10月22日放送)だったとされている。
出典および注釈
編集- ^ a b 石原須磨男のプロフィール
外部リンク
編集- 石原須磨男 - KINENOTE
- 石原須磨男 - 映画DB
- 石原須磨男 - WEBザテレビジョン
- 石原須磨男 - テレビドラマデータベース