石原俊輝
石原 俊輝(いしはら としてる、1913年12月3日 - 1993年2月27日)は、日本の経営者。信濃毎日新聞社社長、信越放送社長を務めた。山形県出身[1]。
経歴
編集1939年に早稲田大学法学部独法科を卒業し、中外商業新報社(現日本経済新聞社)入社[1]。1940年に朝日新聞社へ移籍、椎名悦三郎、中山素平に深く食い込むなど経済記者として活躍する[2]。
朝日新聞経済部の同僚だった信濃毎日新聞一族・小坂徳三郎からの要請で、1951年7月に信濃毎日新聞に転じ、1953年に編集局長、1954年1月に取締役に就任し、1960年7月に常務、1973年11月に社長に就任[1]、1992年に新聞制作システム「ニュー・コスモス」の開発・導入が評価され、日本新聞協会賞「経営・業務部門」を受賞した。
1964年5月から1984年6月までは信越放送社長も兼務、電算社長、信越ポリマー監査役、長野商工会議所会頭、日本科学技術振興財団理事も務めた[1]。
1993年2月26日、信濃毎日新聞社長在職時に心筋梗塞のため死去[3]。79歳没。 二男は東京放送ホールディングス(TBSHD)、TBSテレビ代表取締役社長を務めた石原俊爾[4]。
脚注
編集参考文献
編集- 人事興信所 編『人事興信録 第36版 上』人事興信所、1991年。
- 石原俊輝氏を偲ぶ会発起人会 編『石原俊輝氏を偲ぶ』1994年