石井正美
石井 正美(いしい まさよし、1895年(明治28年)12月1日[1][2] - 1954年(昭和29年)5月4日[1][2])は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
経歴
編集千葉県出身[1][注 1]。陸軍中央幼年学校予科、中央幼年学校を経て、1918年(大正7年)5月、陸軍士官学校(30期)を卒業[1][3]。同年12月、工兵少尉に任官し近衛工兵大隊付となる[1][3]。1921年(大正10年)11月、陸軍砲工学校高等科(27期)を卒業し、1927年(昭和2年)12月、陸軍大学校(39期)を卒業して近衛工兵大隊中隊長に就任[1][2][3]。
1929年(昭和4年)12月、参謀本部員となり、ドイツ駐在、ドイツ大使館付武官補佐官、陸大教官、ドイツ大使館付武官補佐官(再任)、陸大教官などを務め、1939年(昭和14年)3月、工兵大佐に昇進した[1][3]。
1941年(昭和16年)6月、第23軍参謀に発令され日中戦争に出征[1][2]。大本営付を経て、1941年11月、南方軍参謀に任じられ太平洋戦争に出征した[1][2]。1943年(昭和18年)3月、陸軍少将に進み陸大教官に転じた[1][2][3]。1944年(昭和19年)7月、第36軍参謀長に就任し、第11方面軍参謀長、陸大幹事を経て、1945年(昭和20年)8月15日、第1総軍参謀副長に発令された[1][2]。同年10月、第1復員参謀副長となり、同年12月、予備役に編入された[1]。
著作
編集- 訳書
- ハンス・シュパイデル著『戦力なき戦い』読売新聞社、1954年。
親族
編集- 義弟 吉田正治(陸軍中佐)[1]
脚注
編集注釈
編集- ^ 『日本陸軍将官辞典』815頁、『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』417頁では東京。