石井昌一
石井 昌一(いしい まさかず、1887年(明治20年)1月4日[1] - 1961年(昭和36年)12月19日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
石井 昌一 | |
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生誕 |
1887年1月4日 日本 北海道 |
死没 | 1961年12月19日(74歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1908年 - 1939年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
経歴
編集1887年(明治20年)に北海道で生まれた[1]。陸軍士官学校第20期卒業[1]。1934年(昭和9年)8月1日に陸軍砲兵大佐進級と同時に陸軍野戦砲兵学校教官に着任[2]。1935年(昭和10年)3月に野戦重砲兵第1連隊長に転じ[2]、1937年(昭和12年)3月に近衛野砲兵連隊長に就任した[2]。
1938年(昭和13年)7月15日に陸軍少将に進級し[2]、陸軍砲工学校砲兵科長に就任した[1]。1939年(昭和14年)8月1日に待命[1]、9月3日に予備役に編入された[1]。
栄典
編集- 勲章等
- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[3]
脚注
編集参考文献
編集- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。