石井 広吉(いしい ひろきち、1888年明治21年)3月27日[1] - 1955年昭和30年)6月4日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。功四級[2]

石井 広吉
生誕 1888年3月27日
日本の旗 日本 神奈川県
死没 (1955-06-04) 1955年6月4日(67歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1910年 - 1944年
1944年
最終階級 陸軍少将
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経歴

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1888年(明治21年)に神奈川県で生まれた[1]陸軍士官学校第22期卒業[1]1937年(昭和12年)6月10日第14師団兵器部長に就任し[2]8月2日陸軍歩兵大佐に進級[2]。同年8月25日には留守第14師団兵器部長に転じ[2]1938年(昭和13年)7月に戦車第5大隊長に就任した[2]1939年(昭和14年)4月21日関東軍司令部附となり[2][3]6月15日第5軍兵器部長に就任した[3]

1941年(昭和16年)8月に陸軍少将に進級し[2]1942年(昭和17年)9月に戦車第3旅団長に就任した[1]1944年(昭和19年)3月1日に待命[4]3月2日予備役に編入された[3]。同年3月16日に召集され相模陸軍造兵廠監督官に就任し[1]11月27日に召集解除となった[5]

1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[6]

脚注

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  1. ^ a b c d e f 福川 2001, 59頁.
  2. ^ a b c d e f g 外山 1981, 286頁.
  3. ^ a b c 外山 1981, 287頁.
  4. ^ 第38号 昭和19年3月1日 陸軍異動通報」 アジア歴史資料センター Ref.C12120903800 
  5. ^ 陸軍少将石井広吉外六名特旨叙位の件/海軍中将柳原博光、元東北帝国大学教授伊沢正宣外一名、元大東亜技師浅川其二、元軍需省化学局長津田広、元朝鮮総督府道事務官森長文」 アジア歴史資料センター Ref.A12090568900 
  6. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」37頁。

参考文献

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  • 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738 
  • 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026