石井 壽一(いしい じゅいち[1]1898年5月11日[1] - 1968年2月4日[2])は、日本の実業家。名前は常用漢字で「寿一」とも表記される。

広島県出身。1925年5月、大阪時事新報に入って編集長を務める[1]。1946年2月に創刊された大阪日日新聞の社長となる[3]

関西大学の校友会員で[4]、1955年当時は、関西大学教育後援会長を務めていた[5]。ただし、卒業生かどうかは不明である[6]

1959年に発足した豊中ロータリークラブの会員となる[7]

脚注

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  1. ^ a b c 『人事興信録 第16版 上』(人事興信所、1951年)い56頁
  2. ^ 『朝日年鑑 1969年版 別冊』(朝日新聞社、1969年)p.251
  3. ^ 日本新聞百年史』日本新聞連盟、1962年(リンク先は「渋沢社史データベース」)
  4. ^ 關大1961年1月1日号 (PDF) 』 - 関西大学校友会。4ページ目の「校友会有志」による「謹賀新年」広告に「大阪日日新聞社社長 石井寿一」とある。
  5. ^ 関西大学学報 第275号 (PDF) 』(1955年11月。p.17の「五ヶ年計画施設落成式」の記事を参照)
  6. ^ 關大1960年10月15日号 (PDF) 』1頁に掲載された「新評議員一覧表」では、石井は卒業年次学部ではなく「推」と書かれている。
  7. ^ 2月15日第2360例会 - 豊中南ロータリークラブ(2018年。「豊中南ロータリークラブの歴史話し-その4 クラブ誕生に向けて(2)」の箇所を参照)