矢嶋英敏
日本の防衛庁官僚、実業家。島津製作所社長 (1935-2021)
矢嶋 英敏(やじま ひでとし、1935年(昭和10年)1月25日 - 2021年 (令和3年) 7月7日 [1])は、日本の防衛庁官僚、実業家。株式会社島津製作所元代表取締役社長、代表取締役会長、相談役。社団法人京都工業会会長、社団法人日本分析機器工業会会長、財団法人関西文化学術研究都市推進機構理事長、慶應義塾評議員を歴任。勲章は旭日重光章、褒章は藍綬褒章。
やじま ひでとし 矢嶋 英敏 | |
---|---|
生誕 |
1935年1月25日 日本 群馬県前橋市 |
死没 | 2021年7月7日(86歳没) |
出身校 | 慶應義塾大学文学部独文科 |
職業 | 官僚・実業家 |
受賞 |
藍綬褒章 旭日重光章 |
人物
編集10歳で終戦を迎える。慶應義塾大学文学部でドイツ文学を専攻し、慶應義塾体育会野球部入部[2]、マスコミ志望だった。防衛庁に入省しの輸入課契約係から創立直後の日本航空機製造株式会社へ移り、第二次世界大戦後に初めて日本のメーカーが開発した旅客機である「YS-11」の販売に当たる。西アフリカ地域を担当。更に、42歳で島津製作所にスカウトされて航空機部品の売り込みに奔走。当社の社員でノーベル化学賞を受章した田中耕一のノーベル賞受賞決定の第一報を、アメリカ出張中に聞く。会社創設以来、27年ぶりに京都大学出身者以外の経歴で社長に登り詰め、赤字だった会社を奇跡のV字回復を達成させた[3]。
経歴
編集受章
編集その他役職
編集- 社団法人京都工業会会長
- 社団法人日本電気計測器工業会副会長
- 京都経営者協会副会長
- 日本経済団体連合会常任理事
- 京都商工会議所副会頭
- 社団法人関西経済連合会副会長
- 東京学芸大学附属世田谷中学校緑友同窓会会長
- 社団法人バイオ産業情報化コンソーシアム理事
- 社団法人日本電機工業会評議員
- 社団法人日本産業機械工業会理事
- 財団法人日本科学技術振興財団理事
- 社団法人日本航空宇宙工業会副会長
- 社団法人日本分析機器工業会会長
- 社団法人日本電気計測器工業会副会長
- 京都工芸繊維大学経営協議会委員
脚注
編集- ^ “矢嶋英敏氏が死去 元島津製作所社長”. 日本経済新聞 (2021年7月12日). 2021年7月12日閲覧。
- ^ 『私の履歴書』参照
- ^ 矢嶋 英敏 島津製作所 会長 - 9月8日/日本経済新聞
- ^ 昭和28年3月、東京都立青山高等学校卒業 (PDF) - 人間教育講座
- ^ 『官報』号外89号、平成14年4月30日
- ^ 『官報』号外129号、平成23年6月20日
- ^ “平成23年春の叙勲 旭日重光章受章者” (PDF). 内閣府. p. 1 (2011年4月). 2013年2月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年2月10日閲覧。
- ^ 『官報』551号、令和3年8月11日
関連項目
編集外部リンク
編集出典
編集- 『異邦人、改革に起つ―私の履歴書』 日本経済新聞社 2005年11月 ISBN 4532312469
|
|
|