矢島 錦蔵(やじま きんぞう、1861年文久元年) - 1916年大正5年)7月5日[1])は、日本教育者

矢島錦蔵

経歴

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島原藩出身。攻玉社で学んだ後、1877年明治10年)に駒場農学校に入学。4年後に卒業し農学士の称号を得た。学習院の教員となり、東京府尋常師範学校教頭、同校長、静岡県尋常師範学校校長、札幌尋常中学校校長、神宮皇學館教頭・教授を歴任し、1899年(明治32年)に群馬県師範学校に就任した。

その後、1903年(明治36年)から1916年(大正5年)3月まで再び神宮皇學館の教授を務めた[2]

著書

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  • 『普通倫理学』(1890年)
  • 『倫理学講義』(冨山房、1901年)
  • 『普通礼法』(文学社、1901年)

脚注

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  1. ^ 『官報』第1184号、大正5年7月12日。
  2. ^ 『神宮皇學館五十年史』神宮皇學館、1932年、p.213。

参考文献

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  • 『日本現今人名辞典 第3版』日本現今人名辞典発行所、1903年。 
  • 小正展也「矢島錦蔵小論 -東京府尋常師範学校教諭に就任するまでの経歴を中心にー」『東京学芸大学大学史資料室報』第4号、2017年3月
公職
先代
大束重善
群馬県師範学校長
1899年 - 1902年
次代
堀井覚太郎
先代
浅井郁太郎
北海道札幌尋常中学校長
札幌中学校
1899年
札幌尋常中学校長
1897年 - 1899年
次代
左乙女豊秋
先代
色川圀士
校長事務取扱
北海道札幌尋常中学校
1895年 - 1896年
次代
浅井郁太郎
先代
土方勝一
静岡県尋常師範学校長
1892年 - 1895年
次代
沢村勝支
先代
元田直
東京府尋常師範学校長
1891年 - 1892年
校長事務心得
1890年 - 1891年
次代
野尻精一