矢代宿(やしろじゅく)は、長野県千曲市屋代にあった北国街道及び谷街道の宿場。

概要

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慶長16年(1611年)に伝馬宿として成立。宿場は南北に約8町で本町、横町、新町に区分され、南端に矢代用水の橋が架かり、中央に須須岐水神社が鎮座し、本陣と脇本陣の間から谷街道が分岐した。また宿場の北方には千曲川に「矢代の渡し」が設けられていた。

天保18年(1842年)には本陣は1軒、脇本陣は2軒、問屋は2軒、旅籠は39軒であった。本陣は柿崎家が世襲し[1]、伝馬役は本町と新町が半月交代で務めた。

明治4年(1872年)には従来の名称である屋代村と改め、同12年(1878年)には埴科郡役所が置かれた。

脚注

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  1. ^ 「街道と宿場」 p.102

参考文献

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  • 木村幸治 編『善光寺道』三昧堂〈街道物語 12〉、1979年。 NCID BA32764756 
  • 信州歴史の道研究会(解説) 編『街道と宿場』三橋秀年(写真)、信濃毎日新聞社〈信州の文化シリーズ〉、1981年4月。全国書誌番号:82000780 
  • 八木牧夫『ちゃんと歩ける伊勢参宮道 善光寺街道』山と溪谷社、2019年11月。ISBN 9784635600880