睦州 (浙江省)
隋代
編集603年(仁寿3年)、隋により睦州が置かれた。607年(大業3年)に州が廃止されて郡が置かれると、睦州は遂安郡と改称され、下部に3県を管轄した[1]。隋代の行政区分に関しては下表を参照。
隋代の行政区画変遷 | |||||
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区分 | 開皇元年 | 区分 | 大業3年 | ||
州 | 東揚州 | 呉州 | 郡 | 遂安郡 | |
郡 | 新安郡 | 呉郡 | 県 | 雉山県 遂安県 桐廬県 | |
県 | 始新県 遂安県 寿昌県 | 桐廬県 |
唐代
編集618年(武徳元年)、唐により遂安郡は睦州と改められた。742年(天宝元年)、睦州は新定郡と改称された。758年(乾元元年)、新定郡は睦州の称にもどされた。睦州は江南東道に属し、建徳・寿昌・青渓・遂安・桐廬・分水の6県を管轄した[2]。
宋代
編集1119年(宣和元年)、北宋により睦州に建徳軍が置かれた。1121年(宣和3年)、睦州は厳州と改称された。1265年(咸淳元年)、南宋により厳州は建徳府に昇格した。建徳府は両浙路に属し、建徳・寿昌・淳安・遂安・桐廬・分水の6県と神泉監を管轄した[3]。
元代
編集1277年(至元14年)、元により建徳府は建徳路と改められた。建徳路は江浙等処行中書省に属し、録事司と建徳・寿昌・淳安・遂安・桐廬・分水の6県を管轄した[4]。1358年、朱元璋により建徳路は建徳府と改められた。1362年、建徳府は厳州府と改称された。