真壁顕幹
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真壁 顕幹(まかべ あきもと)は、南北朝時代から室町時代前期にかけての常陸の武将。
時代 | 南北朝時代から室町時代前期 |
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生誕 | 文和5年/正平11年1月13日(1356年2月14日) |
死没 | 応永22年1月12日(1415年2月21日) |
別名 | 孫次郎 |
官位 | 刑部大輔 |
幕府 | 室町幕府 |
主君 | 足利義満 |
氏族 | 真壁氏 |
父母 | 父:真壁広幹、母:不詳 |
兄弟 | 顕幹、勝幹 |
子 | 秀幹、景幹、泰幹 |
生涯
編集永和3年/天授3年(1377年)3月5日、家督を継ぐ[1]。応永8年(1401年)12月30日に大御所の足利義満から所領安堵を受けた[2]。この時には出家して聖賢と号している。応永11年(1404年)12月15日、嫡子の秀幹に家督を譲って隠居する。応永22年(1415年)に死去[2]。享年60。
脚注
編集参考文献
編集- 安田元久 編『鎌倉・室町人名事典』(コンパクト)新人物往来社、1990年。