相田一人
略歴
編集栃木県足利市に相田みつをの長男として生まれた。父みつをの死後に見つかった日記には、「気骨ある人に成長するように、何事も一人でやっていけるように、一日も早く一人立ちできるように、という願いをこめて『一人』と命名した。また、転じて後、人生の孤独、寂寥、悲哀等を一人で堪えてゆかねばならぬ時の事を考えて、あえて『一人』と名付けた次第なり」と命名の理由が記されている [1]。
出版社に勤めた後、株式会社而今社(にこんしゃ)を設立した。1996年(平成8年)、東京都中央区銀座に相田みつを美術館を開館、館長に就任した(美術館は、2003年(平成15年)、千代田区丸の内にある東京国際フォーラムに移転)。
1997年(平成9年)月刊誌『諸君!』に小田嶋隆による父相田みつをの批評記事が掲載されると[2]、事実無根であると名誉毀損の訴えを起こし、1999年(平成11年)に同誌に反論記事を寄稿した[3]。
『生きていてよかった』、『いまからここから』など、父の作品の監修に携わったほか、自身も1998年(平成10年)、『父 相田みつを』、『書 相田みつを』を発表した。
2011年(平成23年)、民主党代表選演説で野田佳彦が引用した相田みつをの作品「どじょう」が脚光を浴びた際、新聞社の取材に対して驚きと喜び、新首相の活躍への期待を表明した[4]。
出演
編集『月曜から夜ふかし』(日本テレビ、2022年1月17日)
著書
編集- 『書 相田みつを』 (文化出版局、1998年)
- 『父 相田みつを』 (文化出版局、1998年)
脚注
編集- ^ 相田一人 『書 相田みつを』 文化出版局、1998年、pp.17-18.
- ^ 小田嶋隆、1997、「五百万信者が群がる相田みつをは「便所の神様」」、『諸君!』29巻11号(1997年11月号)、文藝春秋 pp. pp. 164-171
- ^ 相田一人、1999、「「相田みつをは『便所の神様』」に反論する」、『諸君!』31巻4号(1999年4月号)、文藝春秋 pp. pp. 302-303
- ^ “「ドジョウ演説」で脚光 相田さん作品集に注文殺到”. 日本経済新聞. (2011年8月31日) 2011年9月2日閲覧。
関連項目
編集- 『雨音 -雨の日には雨の中を 前夜-』 - 島谷ひとみの楽曲。相田一人が作詞を担当。