相原雄太
相原 雄太(あいはら ゆうた、2002年6月16日 - )は、埼玉県川口市出身[2]のプロ野球選手(投手・育成選手)。右投右打。福岡ソフトバンクホークス所属。
福岡ソフトバンクホークス #138 | |
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基本情報 | |
国籍 |
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出身地 | 埼玉県川口市 |
生年月日 | 2002年6月16日(22歳) |
身長 体重 |
191 cm 97 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2024年 育成選手ドラフト8位 |
年俸 | 400万円(2025年)[1] |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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経歴
編集プロ入り前
編集小学校1年生から野球を始めた[2]。
伊奈学園総合高校では1年時から内野手として公式戦に出場した[2]。「4番・遊撃手」で臨んだ2年夏の埼玉大会は、正智深谷との初戦(2回戦)で敗退[3]。新チームではエースナンバーを背負ったが[2]、2年秋は地区予選で北本に敗れた[4]。3年夏は新型コロナウイルスの影響で甲子園大会およびその出場権を懸けた地方大会が中止となり、独自代替大会[5](埼玉)にエース兼4番として臨んだが[2]、本庄第一との初戦(2回戦)で敗退[6]。2020年11月にはトミー・ジョン手術を受けた[7]。
仙台大学へ進学し、リハビリ期間ではウエイトトレーニングに励み、投球フォームをオーバースローに変更すると、球速が大幅にアップ[2]。2年春にリーグ戦デビューを果たし、2年秋はリーグ戦での登板機会に恵まれなかったが、練習試合では自己最速の152km/hを計測した[7]。ただ、3年春のリーグ戦では2試合の登板にとどまり、3年秋は調子が上がらず、翌2024年3月頃からは右肘に違和感を覚えながら投げ続け、4月のオープン戦では我慢できないほどの痛みを感じ、右肘の手術に踏み切った[2]。
2024年10月24日に開催されたドラフト会議にて、福岡ソフトバンクホークスから育成8位指名を受けた[8]。11月28日には支度金300万円・年俸400万円(金額はいずれも推定)で入団に合意[1]。12月9日に背番号が138と発表された[9]。
選手としての特徴
編集詳細情報
編集背番号
編集- 138(2025年[9] - )
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ a b 「ソフトバンク、D3位・安徳駿らと合意」『サンケイスポーツ』2024年11月28日。2024年12月9日閲覧。
- ^ a b c d e f g 「仙台大・相原雄太 2度の手術乗り越え育成ドラフト指名、大関友久・川村友斗らに続け」『4years.』2024年11月30日。2024年12月9日閲覧。
- ^ 「【試合結果】正智深谷―伊奈学園(2回戦) - 第101回全国高校野球選手権埼玉大会」『スポーツブル』。2024年12月9日閲覧。
- ^ 「令和元年度 秋季高等学校野球大会 地区予選 (PDF)」『埼玉高野連』。2024年12月1日時点のオリジナル (PDF)よりアーカイブ。2024年12月9日閲覧。
- ^ 「埼玉)高校野球独自大会 8月8日開幕へ」『朝日新聞デジタル』2020年6月13日。2024年12月9日閲覧。
- ^ 「令和2年度 夏季埼玉県高等学校野球大会 (PDF)」『埼玉高野連』。2024年12月1日時点のオリジナル (PDF)よりアーカイブ。2024年12月9日閲覧。
- ^ a b 「宇田川、大関に続け…元プロコーチお墨付きの仙台大・武者倫太郎&相原雄太が「勝負の大学3年目」に臨む」『スポチュニティコラム』2023年3月3日。2024年12月9日閲覧。
- ^ a b 「【ドラフト】ソフトバンク育成8位指名の仙台大・相原雄太が大学の先輩・大関に弟子入り志願「こだわりの部分を聞いてみたい」」『スポーツ報知』2024年10月24日。2024年12月9日閲覧。
- ^ a b 「ソフトバンクが新入団選手の背番号発表 1位村上泰斗は「20」2位庄子雄大は「25」」『西スポWEB OTTO!』2024年12月9日。2024年12月9日閲覧。
関連項目
編集外部リンク
編集- 個人年度別成績 相原雄太 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手名鑑 - 福岡ソフトバンクホークス公式サイト
- 選手情報 - 週刊ベースボールONLINE