盛岡ガス
盛岡ガス株式会社(もりおかガス)は、岩手県盛岡市に本社を置く一般ガス事業者。盛岡市および滝沢市の一部の5万世帯あまりに都市ガスの供給、盛岡市・滝沢市・矢巾町・紫波町で簡易ガス事業を行う。2009年の販売量は17244千m2で、用途は家庭用49%、商業用42%、残りがその他となっている。滝沢市にある滝沢工場の全面スイカ柄に塗装されたガスホルダー(タンク)が特に有名である。
種類 | 株式会社 |
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本社所在地 |
日本 〒020-0066 岩手県盛岡市上田二丁目19番56号 |
設立 | 1930年5月7日 |
業種 | 電気・ガス業 |
法人番号 | 9400001001576 |
事業内容 | 都市ガス・液化石油ガスの供給、不動産業 |
代表者 | 熊谷祐三(代表取締役社長) |
資本金 | 8000万円 |
純利益 | 3053万6000円(2017年12月31日時点)[1] |
総資産 | 85億7242万3000円(2017年12月31日時点)[1] |
関係する人物 | 一戸三矢(初代社長) |
外部リンク | https://www.morioka-gas.co.jp/ |
沿革
編集盛岡市では1904年に盛岡電気会社が設立されて以来電灯が利用されており、ガス灯は使われてこなかった。明治末期に東北地方の他都市で次々にガス会社が設立されると、岩手県と青森県は取り残される形となった。盛岡市は市営でのガス事業を立案したが、事業計画の甘さなどから実現には至らず、代わって盛岡電気・南部土地の有力企業2社による民営ガス会社説立案が浮上した。1930年5月7日、一戸三矢を社長とする「盛岡瓦斯株式会社」が設立、同年12月に1050戸に供給を開始した。
その後昭和恐慌や薪炭価格の暴落のあおりを受け、1931年下半期には1000戸を割り込んだ。1945年8月10日、盛岡空襲により壊滅的な被害を受け、供給停止。1年3ヵ月後の1946年11月に供給を再開した。1962年、石炭ガスからナフサを原料とするガスに転換。1969年9月、供給戸数1万戸突破。1990年3月には、社名を「盛岡ガス株式会社」に改めた。1999年5月から2001年9月にかけて熱量変更作業を実施し、供給ガス種をプロパンを原料とした「P13A」に変更。その後2015年5月、原料をプロパンから天然ガスに転換し、ガス種も「P13A」から「13A」に変更。
脚注
編集参考文献
編集- 『炎の産業「都市ガス」 -進化するクリーンエネルギーのすべて』山口正康著 2009年 エネルギーフォーラム ISBN 978-4-88555-363-9