益田義信
1905-1990, 洋画家
益田 義信(ますだ よしのぶ、1905年(明治38年)3月1日 - 1990年(平成2年)1月10日)は、日本の洋画家。益田農事株式会社取締役。
益田太郎冠者の子として東京に生まれる。兄弟は5人とも「信」の字を名前に含むため、俗に「五信」と呼ばれる。慶應義塾大学卒。梅原龍三郎に師事する。パリ留学後、国画会に所属した。ヴェネツィア・ビエンナーレなど国際展のコミッショナー。国際造形芸術連盟会長。
日本自動車連盟(JAF)のマークは、1963年(昭和37年)の創立当時に理事を務めていたことから益田がデザインした。色については、制作当初から白とブルーと決めていたとのことで、全9種の試作のうち5枚をJAFに持参し、最終決定されたものが、益田の一番のお気に入りのデザインだったというエピソードが残されている。
父と同じく、戦時中も洋行するほどの放蕩ぶりで、祖父・益田孝(三井物産、日本経済新聞社創業者)の築いた巨額の財産を使い果たしたことで知られる。
妻の桑子は、洋鉄を最初に扱った鋼鉄商の森岡平右衛門娘。
著書
編集- さよなら巴里 (三修社 1979年5月)
共編著
編集翻訳
編集- ピカソと其の友達 (フェルナンド・オリヴィエ 筑摩書房 1942年)
- 親友ピカソ (ジェーム・サバルテ 美術出版社 1950年)