百々登美子
来歴
編集1929年、大阪市に生まれ、1931年、岐阜県大垣市に移る[2]。小学校教員として働くかたわら、1951年、「短歌人」に入会して斎藤史に師事する[2]。1962年に斎藤史が「原型」を創刊した際に、運営委員として参加[3]。大垣市を拠点に活動した。
1980年、中部地方の歌人が集う「中の会」を結成し、岡井隆や春日井建らを輩出した[2]。山中智恵子と親交が深かった[2]。1981年刊『草昧記』で第7回現代歌人集会賞を受賞[3]。2013年刊『夏の辻』で第10回葛原妙子賞を受賞[2]。幻想的な志向の作風で、鳥を題材とすることが多かったため「鳥の歌人」とも呼ばれた[4]。2019年6月28日、肺炎で死去[5]。享年89歳[5]。
著作
編集歌集
脚注
編集- ^ 『現代物故者事典2018~2020』(日外アソシエーツ、2021年)p.375
- ^ a b c d e “詩的精神最後まで追求 歌人・百々登美子さんの遺歌集『荒地野菊』刊行:中日新聞Web”. 中日新聞Web. 2021年8月29日閲覧。
- ^ a b 百々, 登美子. 歌集 雲の根 21世紀歌人シリーズ
- ^ “月のコラム » Archives » 認識の不変と更新 百々登美子歌集『荒地野菊』”. 2021年8月29日閲覧。
- ^ a b “百々登美子さん死去:朝日新聞デジタル”. 朝日新聞デジタル. 2021年8月29日閲覧。