白石 稔(しらいし みのる、1900年5月2日 - 1985年11月12日)は、日本の経営者宮城県仙台市出身[1]

経歴

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1923年東京帝国大学法学部法科を卒業し、同年に三菱製紙に入社[1]1947年に取締役に就任し、1949年に常務を経て、1957年12月から1963年5月までと1965年5月から1970年5月までに社長を務め、1970年5月から1973年5月までに会長を務めた[1]

1963年藍綬褒章を受章し、1968年11月に勲三等旭日中綬章を受章[1]

1985年11月12日心不全のために死去[2]。85歳没。

脚注

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  1. ^ a b c d 人事興信所 1985, し164頁.
  2. ^ 1985年 11月13日 日本経済新聞 朝刊 p31

参考文献

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  • 人事興信所 編『人事興信録 第33版 上』人事興信所、1985年。