白石光治郎
日本の朝鮮総督府官僚 (1897-没年不明)
白石 光治郎(しらいし こうじろう、1897年(明治30年)10月6日[1] - 没年不明)は、昭和時代前期の朝鮮総督府官僚。平安北道知事。朝鮮総督府逓信局長。朝鮮総督府農商局長。
経歴
編集白石房次郎の長男として愛知県名古屋市に生まれる[1]。1925年(大正14年)東京帝国大学法学部政治科を卒業し、朝鮮総督府に奉職する[1]。平安北道、慶尚南道各警察部長、総督府事務官警務局勤務、平安南道内務部長、逓信局電気課長、総督府事務官官房外務部勤務兼任外務事務官を経て、平安北道知事に就任[1]。1943年(昭和18年)7月[2]、朝鮮総督府逓信局長兼高等海員審判所長に任じた[1]。その後、朝鮮総督府農商局長に就任した。
脚注
編集- ^ a b c d e 帝国秘密探偵社 1943, 朝鮮53頁.
- ^ 『熊本医科大学教授東陽一外十名海軍技師等任免官等陞叙並休職被仰付ノ件○朝鮮総督府平安北道知事白石光治郎外六名任免、陸軍教授秋岡武次郎官等陞叙、休職東京帝国大学教授河合栄次郎休職被仰付、福井県知事永野若松外二名任免、神吉正一任官』 - 国立公文書館デジタルアーカイブ、昭和18年7月17日。
参考文献
編集- 帝国秘密探偵社 編『大衆人事録 第14版 外地・満支・海外篇』帝国秘密探偵社、1943年 。