白木勇
日本の最高裁判所判事
略歴
編集- 東海高等学校15期生
- 1968年(昭和43年):東京大学法学部卒業
- 同年:司法修習生
- 1970年(昭和45年):判事補任官。東京地方裁判所等に勤務
- 1975年(昭和50年):新潟地方裁判所判事補。新潟家庭裁判所判事補。新潟簡易裁判所判事
- 1978年(昭和53年):東京簡易裁判所判事。東京地方裁判所判事補
- 1980年(昭和55年):東京地方裁判所判事
- 1981年(昭和56年):名古屋地方裁判所判事
- 1984年(昭和59年):司法研修所教官
- 1986年(昭和61年):最高裁判所刑事局第二課長
- 1987年(昭和62年):最高裁判所刑事局第一課長兼第三課長
- 1989年(平成元年):東京地方裁判所判事
- 1991年(平成3年):東京地方裁判所部総括判事
- 同年:最高裁判所秘書課長兼広報課長
- 1995年(平成7年):最高裁判所上席調査官
- 1997年(平成9年):最高裁判所刑事局長兼図書館長
- 2001年(平成13年):水戸地方裁判所所長
- 2002年(平成14年):東京高等裁判所部総括判事
- 2006年(平成18年):東京地方裁判所所長
- 2007年(平成19年):広島高等裁判所長官
- 2008年(平成20年):東京高等裁判所長官
- 2010年(平成22年)1月15日:最高裁判所判事
- 2012年(平成24年)12月16日:最高裁判所裁判官国民審査において、罷免を可とする票4,661,824票、罷免を可とする率8.07%で信任[2]。
- 2015年(平成27年)2月14日:定年退官
- 2016年(平成28年)4月29日:春の叙勲で旭日大綬章を受章[3]。
主な担当事件
編集東京高裁時代、群馬女子高生誘拐殺人事件の控訴審で高裁第11刑事部の裁判長として[4]被告人に死刑判決(第一審・前橋地裁の無期懲役判決を破棄・自判)を言い渡した[5]。被告人(後に死刑囚)は最高裁判所へ上告しなかったため死刑が確定し[6]、法務省(法務大臣:鳩山邦夫)の死刑執行命令により2008年(平成20年)4月10日に東京拘置所で死刑を執行された[7]。
またオウム真理教元教祖の松本智津夫(麻原彰晃)の裁判で東京高裁が控訴趣意書の提出遅延を理由として控訴棄却を行なったのは不当とする弁護側の異議申し立てに関する審理を裁判長として担当。2006年3月30日に出された異議申し立てを棄却する決定を同年5月29日に下した[8]。
脚注
編集- ^ “最高裁判所の裁判官(白木勇)”. 最高裁判所. 2013年7月6日閲覧。
- ^ 平成24年12月16日執行 衆議院議員総選挙・最高裁判所裁判官国民審査 速報結果総務省
- ^ 春の叙勲4024人 小島三菱商事前会長ら旭日大綬章 日本経済新聞 2016年4月29日
- ^ 東京高裁 2004.
- ^ 『読売新聞』2004年10月29日東京夕刊第一社会面23頁「群馬・大胡の女子高生殺害 一審破棄、死刑判決/東京高裁」(読売新聞東京本社)
- ^ 『読売新聞』2004年11月16日東京朝刊群馬西版34頁「大胡の女子高生殺害 S被告、上告せず死刑確定」(読売新聞東京本社・前橋支局)
- ^ 『読売新聞』2008年4月10日東京夕刊一面1頁「4人の死刑を執行 鳩山法相就任4か月で10人に/東京・大阪拘置所」(読売新聞東京本社)
- ^ 麻原被告の異議認めず 裁判打ち切り支持 東京新聞 2006年5月31日
参考文献
編集- 控訴審 - 東京高等裁判所第11刑事部判決 2004年(平成16年)10月29日 『TKCローライブラリー』(LEX/DBインターネット) 文献番号:28105255、平成15年(う)第2869号、『殺人、わいせつ略取、人質による強要行為等の処罰に関する法律違反、強姦、窃盗、拐取者身の代金取得、住居侵入、強盗、傷害被告事件』。
司法職 | ||
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先代 田尾健二郎 |
広島高等裁判所長 2007 - 2008 |
次代 相良朋紀 |