白川顕成王

安土桃山時代から江戸時代初期の日本の公家。白川家20代。白川雅朝王の嫡男。従四位上、神祇伯、左近衛中将

白川 顕成王(しらかわ あきなりおう)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての日本公家。白川家20代当主。

 
白川 顕成王
時代 安土桃山時代-江戸時代初期
生誕 天正12年6月5日1584年7月12日
死没 元和4年11月7日1618年12月23日
戒名 西雲院繊月乗船
官位 従四位上神祇伯左近衛中将
主君 後陽成天皇後水尾天皇
氏族 白川家
父母 父:白川雅朝王
実子:鷹司信房室、女子
養子:白川雅陳王
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経歴

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白川雅朝王の嫡男として誕生。慶長7年叙爵され、翌年11月28日に元服、同日侍従となる。2年後には父・雅朝王より神祇伯職を譲られる。その後従四位上まで昇叙したが、公卿となることのないまま、伯の在任中に卒去した。享年35歳。法号は西雲院繊月乗船

官歴

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系譜

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脚注

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注釈

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  1. ^ 「白川家系譜」(『神道叢書』第二巻所収)より、子女は女子二人、うち一人に鷹司信房室の尻付がある。親王・諸王略傳「雅喬王」には、母は「顕成王の女子」とある。これに従えば、鷹司信房室ではないもう一人の女子が雅陳王と結婚し、雅陳王は婿養子となる、と推測できるが、典拠を確認できない。

出典

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  • 日本の親王・諸王「雅喬王」(2020年6月5日閲覧)

参考文献

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