三重県立白子高等学校

三重県鈴鹿市にある高等学校
白子高等学校から転送)

三重県立白子高等学校(みえけんりつ しろここうとうがっこう)は、三重県鈴鹿市にある県立の高等学校

三重県立白子高等学校
正門から見た校舎
地図北緯34度50分4.52秒 東経136度34分56.55秒 / 北緯34.8345889度 東経136.5823750度 / 34.8345889; 136.5823750座標: 北緯34度50分4.52秒 東経136度34分56.55秒 / 北緯34.8345889度 東経136.5823750度 / 34.8345889; 136.5823750
過去の名称 白子町外21か村組合立高等女学校
三重県立河芸高等女学校
三重県神戸高等学校白子部
国公私立の別 公立学校
設置者 三重県の旗 三重県
設立年月日 1920年
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程
単位制・学年制 単位制
設置学科 普通科
生活創造科
学校コード D124210050196 ウィキデータを編集
所在地 510-0243
三重県鈴鹿市白子4丁目17-1
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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三重県立白子高等学校の位置(三重県内)
三重県立白子高等学校

概要

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普通科・生活創造科合計で一学年6~7クラスの高等学校である。[1]進学先としては中堅かそれ以下の大学および専門学校が多い。学生の男女比が顕著で、女子学生が男子学生の1.5倍ほどの比率で在学する傾向が続いている。これは各学年それぞれ1クラスずつある生活創造科と普通科文化教養(吹奏楽コース)がほぼ全員女子だということが大きく影響しているものであるが、近年は男子生徒も増加傾向にある。[2]

県内でほかに類をみない吹奏楽コースを持っており、吹奏楽部は全日本吹奏楽コンクールをはじめとした県内コンクールで常に上位入賞を果たし、県代表の座を20年以上連続して獲得している。

また他の文化部でも新聞部、軽音楽部が全国大会に出場するなど盛んに活動している。

運動部では卓球が有名で女子は28年連続・通算37回のインターハイ予選団体戦優勝、男子も4年連続・通算13回の優勝(令和5年現在)を誇り、2015年と2023年のインターハイ男子シングルスで5位入賞、2017年の女子ダブルスで3位入賞、2021年の全国選抜女子学校対抗で5位入賞となり、日本代表選手も輩出する全国屈指の強豪である。その他にも男子剣道も(令和4年現在)県大会上位に進出する強豪である。

2020年令和3年)に創立100周年を迎えた。

クラブ一覧

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運動部

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  • 硬式野球部
  • サッカー部
  • 男女バスケットボール部
  • 男女テニス部
  • 男女剣道部
  • 女子バレーボール部
  • 男女卓球部
  • 男女ハンドボール部
  • 男女陸上競技部
  • ダンス部

文化部

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  • 吹奏楽部
  • 放送部
  • ボランティア部
  • 写真部
  • 書道部
  • 声優部
  • 茶道部
  • 料理部
  • 新聞部
  • 合唱部
  • 手芸部
  • 軽音楽部
  • 着付け部
  • 美術部

学科

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  • 普通科
    • 普通コース
    • 文化教養(吹奏楽)コース
  • 生活創造科

校歌

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山口誓子が作詞、城多又兵衛が作曲して作られた。

校歌は4番まで存在するが、普段は2番までしか歌われない。

沿革

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  • 1920年大正9年) - 河芸郡長の片岡宇太郎の働きかけにより白子町外21か村組合立高等女学校として開校[3]
  • 1923年(大正12年) - 三重県に移管、三重県立河芸高等女学校に改称[3]
  • 1948年昭和23年) - 旧制・三重県立神戸中学校、鈴鹿市立高等女学校、鈴鹿市立工業学校と統合し、三重県神戸高等学校となる。旧・河芸高女は白子部として存続する。
  • 1949年(昭和24年) - 三重県鈴鹿高等学校白子部に改称。
  • 1950年(昭和25年) - 三重県白子高等学校として独立。
  • 1955年(昭和30年) - 三重県白子高等学校に改称。

交通アクセス

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出身者

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脚注

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  1. ^ 三重県立高等学校案内2012年2月28日回答
  2. ^ [1]
  3. ^ a b 「角川日本地名大辞典」編纂委員会(1983)、597ページ

参考文献

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関連項目

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外部リンク

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