白壁傑次郎

日本の教育者、化学者

白壁 傑次郞(しらかべ けつじろう、明治4年6月2日 (旧暦)[1]1871年7月19日) - 昭和27年(1952年2月26日[2])は、日本教育者化学者。第五高等学校名誉教授[3]

経歴

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白壁又六郎の二男として福岡県に生まれる[3]。1891年福岡県立尋常中学修猷館[4]、1894年第五高等学校理科[5]を経て、1897年7月東京帝国大学理科大学化学科[6]を卒業。第五高等学校在学中は、ラフカディオ・ハーンに英語を学んでいる[7]

東大卒業後、京華尋常中学校青山学院中学部、立教中学校の教諭を経て、1900年1月陸軍教授に就任[3]。1901年1月第五高等学校の教授に就任し、化学、自然科学を講じる[7]。1910年九州薬学専門学校熊本大学薬学部の前身)が設立されると、その講師も兼務し、理論化学を講じた[8]

1940年8月第五高等学校を退官し、名誉教授となる。従三位勲二等[3]

脚注

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  1. ^ 『人事興信録第4版』(人事興信所、1915年) シ-31頁
  2. ^ 『朝日年鑑 1953年版』(朝日新聞社、1952年)p.571
  3. ^ a b c d 『人事興信録第13版』(人事興信所、1941年) シ-111,112頁
  4. ^ 『修猷館同窓会名簿 修猷館235年記念』(修猷館同窓会、2020年)同窓会員1頁
  5. ^ 『第五高等学校一覧(自昭和11年至昭和12年)』(第五高等学校、1936年)176頁
  6. ^ 『東京帝国大学一覧(從大正7年至大正8年)』(東京帝国大学、1919年)學士及卒業生姓名282頁
  7. ^ a b 熊本大学五高記念館 五高の歴史 ~日本人教師~
  8. ^ 『熊本大学60年史 通史編』(熊本大学、2014年)71-76頁