白南権
白 南権(ペク・ナムグォン、白南權、백남권)は大韓民国の軍人。本貫は水原白氏[1]。
白南権 | |
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生誕 |
1922年4月5日 日本統治下朝鮮慶尚南道咸陽郡 |
死没 |
2011年2月14日(88歳没) 大韓民国ソウル特別市 |
所属組織 |
大日本帝国陸軍 大韓民国陸軍 |
最終階級 |
少尉(日本陸軍) 准将(韓国陸軍) |
墓所 | 国立大田顕忠院将軍第2墓域154号 |
経歴
編集1922年4月、慶尚南道咸陽郡に生まれる。1944年、日本大学商科を中退して学徒出陣。
1946年3月23日付で軍事英語学校を卒業して少尉に任官(軍番10069番)[2]。南朝鮮国防警備隊第5連隊の創設に参加、A中隊長(中隊長:白善燁中尉)小隊長[3]。同年12月、第2連隊第3大隊長[4]。1948年5月1日、第10連隊長[5]。1949年2月、北朝鮮軍の侵入に業を煮やし、隷下砲兵中隊(長:盧載鉉大尉)に命じて北朝鮮海軍派遣隊隊舎に105mm砲弾5発を命中させ、基土門里砲撃事件を起こす。同年5月25日、第5連隊長[6]。1950年3月、日本に渡り第1騎兵師団で研修を受ける[7]。
朝鮮戦争が勃発すると帰国し、同年8月13日、首都師団機甲連隊長[8]。同年11月、首都師団副師団長。1951年5月、第3師団長。1952年10月、陸軍歩兵学校校長。
1954年、第21師団長。第2軍管区司令官[9]を経て1956年10月、陸軍士官学校校長。1957年8月、第2訓練所長。1959年3月、第6管区司令官[10]。
1962年、不正蓄財事件で懲役10年の判決が下された[11]。
予備役編入後は仁川製鉄工業会社副社長。2011年2月14日、ソウル峨山病院にて死去[12]。
叙勲
編集- 乙支武功勲章
- 忠武武功勲章
- シルバースター - 1952年3月13日[13]
- レジオン・オブ・メリット - 1953年6月9日[14]
出典
編集- ^ “(25)수원 백씨(水原白氏)-316,535명” (朝鮮語). 서울이코노미뉴스 (2014年8月7日). 2022年8月16日閲覧。
- ^ 佐々木 1983, p. 88.
- ^ 佐々木 1983, p. 149.
- ^ 佐々木 1983, p. 133.
- ^ 佐々木 1983, p. 198.
- ^ 佐々木 1983, p. 195.
- ^ 佐々木春隆『朝鮮戦争/韓国編 中巻』、101頁。
- ^ “洛東江戦 防御作戦” (PDF) (朝鮮語). 漆谷護国平和祈念館. pp. 350. 2016年8月17日閲覧。
- ^ “渡米した四将星五日下午帰国(渡美한 四將星 五日 下午 歸國)”. 釜山日報. (1956年4月6日) 2020年1月10日閲覧。
- ^ “六管區司令官에 白南權少將” (朝鮮語). 国史編纂委員会. 2015年12月25日閲覧。
- ^ “白仁燁·嚴鴻燮에 無期 韓光錫 15年 白南權·楊國鎭 10年 어제「不正蓄財事件」求刑” (朝鮮語). 国史編纂委員会. 2015年12月25日閲覧。
- ^ “【訃報】白南権死去・ヨンギ、ジュンギ、ピョンギ、ミギョン、サンジュン父親(【부고】백남권 별세·용기 준기 병기 미경 상준 부친상)”. 東亜日報. (2011年2月16日) 2020年1月3日閲覧。
- ^ “Nam Kwon Paik”. Military Times. 2015年12月25日閲覧。
- ^ “Paik Nam Kwan”. Military Times. 2015年12月25日閲覧。
参考
編集- 佐々木春隆『朝鮮戦争/韓国篇 上巻 建軍と戦争の勃発前まで』(第4刷)原書房、1983年。ISBN 4-562-00798-2。
- 박동찬 (2014) (PDF). 통계로 본 6·25전쟁. 국방부 군사편찬연구소. ISBN 979-11-5598-010-1
- “白南權” (朝鮮語). 国立大田顕忠院. 2015年12月25日閲覧。
軍職 | ||
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先代 金鐘五 |
第3師団長 第12代:1951.5.23 - 1952.10.10 |
次代 林善河 |
先代 林善河 |
大韓民国陸軍歩兵学校校長 第9代:1952.10.10 - 1953.5.9 |
次代 崔錫 |
先代 張昌国 |
韓国陸軍士官学校校長 第13代:1956.10.8 - 1957.7.31 |
次代 李翰林 |
先代 楊国鎮 |
第2訓練所長 第7代?:1957.7 - 1959.3.13 |
次代 朴炳権 |