白井明雄
白井 明雄(しらい あきお、1929年(昭和4年)11月3日[1] - )は、日本の陸上自衛官。軍事史家。本籍は東京都[1]。
白井 明雄 | |
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生誕 |
1929年11月3日(94歳) 中国 北京 |
所属組織 |
大日本帝国海軍 警察予備隊 保安隊 陸上自衛隊 |
軍歴 |
1944 - 1945(日本海軍) 1950 - 1952(予備隊) 1950 - 1954(保安隊) 1954 - 1986(陸自) |
最終階級 | 陸将 |
指揮 |
第9師団長 第18普通科連隊長 |
経歴
編集本籍は東京都であるが北京生まれの北京育ち[2]。旧制中学校の途中から海軍の予科練に志願し[2]、飛行兵として訓練を受ける。終戦後は1950年(昭和25年)10月、警察予備隊に入隊。1952年(昭和27年)に一般幹部候補生(第4期)に進み、卒業後に幹部任官[2]。その後陸上自衛隊幹部学校指揮幕僚課程(第8期)。第18普通科連隊長、富士教導団長、東北方面総監部幕僚長兼仙台駐屯地司令、東北地区補給処長等を経て、1986年(昭和61年)3月、第9師団長を最後に退官。現在は軍事史学会会員。
栄典
編集著作等
編集著書
編集- 『日本陸軍「戦訓」の研究 -大東亜戦争期「戦訓報」の分析-』芙蓉書房出版、2003年。 ISBN 4-8295-0327-0
論文
編集- 「戦場における錯誤」(『陸戦研究』、1970年)
- 「陸軍少将 小沼治夫(日本陸軍における戦史の第一人者)」(『陸戦研究』、1990年)
- 「栗林将軍は如何にして洞窟戦法を創案したか」(『軍事史学』、1994年)
- 「大東亜戦争における日本陸軍の戦訓について(『戦訓特報』の概要と問題点)」(『陸戦研究』1997~98年)
- 「続・大東亜戦争における日本陸軍の戦訓について(『戦訓報』『戦訓速報』の概要と特色)」(『陸戦研究』、1998~2000年)
などがある。