癡兀大慧(ちこつ だいえ、1229年寛喜元年) - 1312年12月20日正和元年11月22日))は、鎌倉時代である。伊勢国出身[1]平清盛の子孫とする説がある[2]

癡兀大慧
1229年寛喜元年) - 1312年12月20日正和元年11月22日
平等房
諡号 仏通禅師
尊称 平等房
生地 勢州
宗旨 臨済宗
宗派 東福寺派
寺院 安養寺・大福寺
円爾
弟子 能信
著作 『十牛訣』
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天台宗真言宗の教えに精通した僧であったが、東福寺円爾に論争を挑んだところ、逆に感化されてその弟子となった[1]

脚注

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参考文献

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  • 日本大辞典刊行会編, ed. (1975年). "ちこつだいえ【癡兀大慧】". 日本国語大辞典. Vol. 13 (初版 ed.). 東京: 小学館. p. 350. NCID BN01221521
  • デジタル版 日本人名大辞典+Plus. “痴兀大慧 ちこつ だいえ”. コトバンク. 2017年11月6日閲覧。

外部リンク

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