畢衆敬の子として生まれた。宋の正員将軍となった。父とともに北魏に帰順し、平城に入朝すると、上客となった。須昌侯の爵位を受け、平遠将軍の号を加えられた。後に使持節・平南将軍・兗州刺史に任じられ、仮の彭城公となった。父の衆敬が老いて故郷に帰ると、元賓のことは使君と呼ばれた。父が死去すると刺史の任を解かれたが、喪中に長兼殿中尚書に遙任された。その年の末に死去した。撫軍将軍・衛尉卿の位を追贈された。諡は平といった。
- 劉氏(東平郡の人。祖朽・祖髦・祖帰・祖旋の4子を生んだ)
- 元氏(祖栄・祖暉の2子を生んだ)
- 畢祖朽
- 畢祖髦(奉朝請、須昌侯、揚烈将軍・東平郡太守、兗州別駕)
- 畢祖帰(建寧郡太守)
- 畢祖旋(太尉行参軍・鎮遠将軍)
- 畢祖栄(早逝)
- 畢祖暉
- 『魏書』巻61 列伝第49
- 『北史』巻39 列伝第27