畠田古墳
畠田古墳(はたけだこふん)は、奈良県北葛城郡王寺町明神にある古墳。形状は円墳。奈良県指定史跡に指定されている。
畠田古墳 | |
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墳丘・石室開口部 | |
所在地 | 奈良県北葛城郡王寺町明神4丁目 |
位置 | 北緯34度34分29.77秒 東経135度41分14.98秒 / 北緯34.5749361度 東経135.6874944度座標: 北緯34度34分29.77秒 東経135度41分14.98秒 / 北緯34.5749361度 東経135.6874944度 |
形状 | 円墳 |
規模 |
直径15m 高さ4m |
埋葬施設 | 両袖式横穴式石室(内部に木棺) |
出土品 | 金環・金銅製刀装具・ガラス玉・鉄鏃・須恵器・土師器など |
築造時期 | 7世紀初頭 |
被葬者 | 2体以上 |
史跡 | 奈良県指定史跡「畠田古墳」 |
地図 |
概要
編集奈良県西部、葛下川西方の丘陵上に築造された古墳である。1997年(平成9年)に発掘調査が実施されている。
墳形は円形で、直径15メートル・高さ約4メートルを測る[1]。墳丘周囲には外護列石が巡らされる。埋葬施設は両袖式の横穴式石室で、南方向に開口する[1]。玄室内には木棺を据え、少なくとも2体が埋葬されたとみられる。副葬品としては金環・金銅製刀装具などが検出されている[1]。
築造時期は、古墳時代終末期の7世紀初頭頃と推定される[1]。王寺町では古墳が少なくいずれも7世紀代の築造と推定されるが、本古墳はその中で最大規模かつ単独墳であり、当地域の開発を物語るとして注目される[1]。また墳丘の形態および副葬品の様相から、被葬者に渡来系の性格を指摘する説がある[2]。
埋葬施設
編集埋葬施設としては両袖式の横穴式石室が構築されており、南方向に開口する。石室の規模は次の通り[1]。
- 石室全長:5.9メートル
- 玄室:長さ3.2メートル、幅2.0メートル、高さ2.3メートル
- 羨道
石室の石材には自然石を使用するが、面は揃えて積み上げる[1]。玄室内には木棺を据え、2体以上が埋葬されたとみられる[1]。副葬品としては金環・金銅製刀装具・ガラス玉・鉄鏃・須恵器・土師器などが検出されている[1]。
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玄室(奥壁方向)
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玄室(開口部方向)
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羨道(開口部方向)
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羨道(玄室方向)
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開口部
文化財
編集奈良県指定文化財
編集- 史跡
- 畠田古墳 - 2007年(平成19年)3月30日指定[3]。
脚注
編集参考文献
編集(記事執筆に使用した文献)
- 史跡説明板
関連文献
編集(記事執筆に使用していない関連文献)
- 奈良県立橿原考古学研究所 編『畠田古墳』王寺町〈王寺町文化財調査報告書第1集〉、1998年。
外部リンク
編集- 古代の王寺 > 畠田古墳 - 王寺町ホームページ