町井 友之丞(まちい とものじょう、? - 寛政10年12月19日(1799年1月24日))は、江戸時代中後期の一揆指導者[1]。
伊勢国一志郡谷杣村(現:三重県津市榊原町)の庄屋組合頭[1]。
第9代津藩主藤堂高嶷時代の郡奉行茨木重謙の厳しい政策に反対し、寛政8年12月26日(1797年1月23日)農民約3万人が蜂起した津藩寛政一揆(安濃津地割騒動)の指導者を務めた[2]。
一揆の結果、郡奉行重謙は職を免じられ蟄居、農民側の友之丞ら庄屋3名は打ち首獄門となった[2]。墓所は海泉寺[2]。