男鹿地震

1939年5月1日に発生した地震

男鹿地震(おがじしん)とは、1939年昭和14年)5月1日男鹿半島付近で発生した地震である。

男鹿地震
男鹿地震の位置(秋田県内)
男鹿地震
男鹿地震の位置(東北内)
男鹿地震
地震の震央の位置を示した地図
本震
発生日 1939年5月1日
発生時刻 14時58分26.5秒(JST[1]
震央 日本の旗 日本 男鹿半島
座標 北緯39度56.7分 東経139度47.1分 / 北緯39.9450度 東経139.7850度 / 39.9450; 139.7850座標: 北緯39度56.7分 東経139度47.1分 / 北緯39.9450度 東経139.7850度 / 39.9450; 139.7850[1]
震源の深さ 0 km
規模    気象庁マグニチュード Mj6.8/モーメントマグニチュード Mw6.9[2]
最大震度    震度5:秋田県秋田市北秋田郡鷹巣町
津波 10-20cm(能代土崎港
地震の種類 内陸地殻内地震
東傾斜の逆断層[2]
地すべり あり
余震
回数 Mj5以上が10回、Mj6以上が2回
最大余震 同日15時00分07.0秒(JST)
北緯39度59.8分 東経139度36.0分 / 北緯39.9967度 東経139.6000度 / 39.9967; 139.6000
気象庁マグニチュード Mj6.7
最大震度5[3]
被害
死傷者数 死者27人、負傷者52人
被害地域 秋田県
出典:特に注記がない場合は気象庁による。
プロジェクト:地球科学
プロジェクト:災害
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地震のメカニズム

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いわゆる双子地震で、5月1日の14時58分にMj 6.8・最大震度5の地震(第一震)が、1分44秒後の15時00分頃にMj 6.7・最大震度5の地震(第二震)が連続して発生した[4]。また、約10時間後の5月2日01時05分にもMj 6.5・最大震度4という大きな余震が発生している[5]。何れの地震も震源の深さは浅く、地殻内で発生した地震と見られている。

第一震のP波初動分布による発震機構解は、東西に圧縮軸を持つ南北走向の逆断層型であった。男鹿半島の先端付近が最大で44cmほど隆起し、そこから東へ行くにつれて隆起量が小さくなっていくことから、東傾斜であると推定されている。また、これらの地殻変動から、長さ30km、幅15kmの断層が活動したことによる地震であると推定されている[2]

地震動

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第一震の震度分布。秋田県秋田市と北秋田郡鷹巣町で最大震度の5を観測したほか、北海道から関東地方にかけて震度1以上の揺れを観測した。

震度4以上が観測された地点
震度 都道府県 観測所
5 秋田県 秋田鷹巣
4 青森県 弘前
岩手県 雫石花巻湯田水沢
山形県 酒田

震害

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第一震・第二震、及びそれに続く余震活動によって、震央周辺の男鹿半島内の集落(南秋田郡)において大きな人的・家屋被害をもたらした。人的被害としては、家屋の倒壊、土砂災害などによって27人が死亡、その他52人が負傷した。住家被害としては、479戸が全潰、858戸が半潰した。中でも船川港町五里合村は被害が著しく、全潰率が60%を超える地区もあった。また、秋田市通町では薬局が全焼、船越町では倒壊した家屋から出火し、周囲10戸が全焼するなどの火災も発生した。住家被害の割には人的被害や火災は比較的に少なく、この要因として、発震時刻の午後3時ごろは農村は概ね外に働き、炊事の間にあった為と見られている[6]。溜め池(74箇所)、堰、水路の損壊により苗代被害や水田作付不能が150町歩以上が生じた[7]

男鹿半島の各地で土砂災害が相次ぎ、北浦町、船川港町、五里合村などの海岸線で大規模な地すべりが発生し、人的・家屋被害が生じた。船川港町付近の地すべりでは船川線船川街道が寸断され、復旧に支障をもたらした[6][8]

津波

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津波被害は記録されていないが、鰺ヶ沢、能代、土崎、酒田で津波が観測され[9]、各地点の到達時間から波源域が男鹿半島の東西・南北約2kmの範囲と推定された[9]

備考

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自然災害伝承碑

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1810年の地震

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この地震から約129年前の1810年9月25日(文化7年8月27日)にも、男鹿半島付近を震央としたM6.5±14の地震(羽後地震)が発生しており、死者60人・住家全潰1,000戸余の被害を出している。

出典

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  1. ^ a b 気象庁震度データベース (本震)
  2. ^ a b c 佐藤 裕 (1993). “地殻変動による1939年男鹿地震の再検討”. 地震 第2輯 46: 46-52. https://doi.org/10.4294/zisin1948.46.1_49 2016年11月13日閲覧。. 
  3. ^ 気象庁震度データベース (最大余震)
  4. ^ 今村明恒男鹿地震考 地震 第1輯 1939年 11巻 8号 p.372-384, doi:10.14834/zisin1929.11.372
  5. ^ 気象庁震度データベース検索 (翌日の余震)
  6. ^ a b 水田 敏彦・鏡味 洋史 (2010). “1939.5.1男鹿地震の被害分布に関する文献調査”. 日本建築学会技術報告集 16 (33): 817-820. https://doi.org/10.3130/aijt.16.817 2016年11月13日閲覧。. 
  7. ^ 秋葉滿壽次、仙波秀男、秋田縣男鹿地震と溜池被害 農業土木研究 13巻 (1941) 1号 p.31-59, doi:10.11408/jjsidre1929.13.31
  8. ^ 平賀ほか (2007). “1939年秋田県男鹿地震での斜面崩壊の痕跡についての現地調査”. 地震工学論文集 29: 1011-1016. https://doi.org/10.11532/proee2005a.29.1011 2016年11月13日閲覧。. 
  9. ^ a b 岸上冬彦、飯田汲事、昭和14年5月1日男鹿地震の津浪 地震 第1輯 1939年 11巻 8号 p.365-371, doi:10.14834/zisin1929.11.365
  10. ^ a b 国土地理院地図に男鹿の自然災害伝承碑が掲載されました”. 男鹿市. 2020年1月1日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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