田村 文彦(たむら ふみひこ、1940年11月3日 - 2018年12月7日[1])は、日本実業家で、元サッカー選手。ロシアとの民間交流団体「オーポラロシア福岡」の会長で、在日ロシア連邦大使館より名誉領事に任命されていた[2]

来歴

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大阪府高石市出身[3]

 

明星高等学校を経て[4] 早稲田大学第二政治経済学部を卒業[3]。大学時代まではサッカーをおこない、ユース日本代表に選出されて1959年のAFCユース選手権1959にミッドフィルダーとして出場した[3][4]川淵三郎とはチームメイトだったという[3]。大学卒業後はダンロップに3年間勤務したのち、父の経営する輸入車販売店に入社した[1]。中古車オークション事業を父の知人と立ち上げて、ユー・エス・エスの創業に参加する[3][1]。ユー・エス・エスでは代表取締役副会長まで務め、2014年6月に退任[5]。その後相談役を2年務めた後にユー・エス・エスから完全に退いた[1][3]

2016年7月にロシア連邦より名誉領事に任命される[3]。委嘱自体は前年11月になされていたが、実業界から引退してから拝命したと述べている[1]

脚注

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  1. ^ a b c d e 田村文彦ストーリー - オーポラロシア
  2. ^ “登録活動記録ドラマ化 田村さんが協賛金 宗像市へ第1号”. 毎日新聞. (2017年6月28日). https://mainichi.jp/articles/20170628/ddl/k40/040/566000c 2018年10月21日閲覧。 
  3. ^ a b c d e f g 名誉領事略歴 (PDF) - 福岡県庁(2018年3月30日、在福岡ロシア連邦名誉領事が知事を表敬訪問します。の添付資料)
  4. ^ a b 第1回アジアユース大会、日本代表のメンバープログラム - 日本サッカーアーカイブ(賀川浩
  5. ^ 代表取締役および取締役の異動ならびに取締役の委嘱変更に関するお知らせ - ユー・エス・エス(2014年5月8日)