田所太郎

日本の編集者、新聞経営者

田所 太郎(たどころ たろう、1911年8月6日 - 1975年6月6日)は日本の編集者新聞経営者。『図書新聞』の創刊者として、その名を知られる。

たどころ たろう

田所 太郎
生誕 1911年8月6日
東京都
死没 (1975-06-06) 1975年6月6日(63歳没)
東京都
国籍 日本の旗 日本
職業 編集者新聞経営者
著名な実績図書新聞社』創業者
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生涯

編集

1911年、東京都に生まれる。京華商業学校から、銀行勤務を経て、旧制松江高等学校に進む。旧制高校時代、花森安治と出会い、校友会雑誌を編集する。花森とは生涯の親友であった。

東京帝国大学に入学し、同じく東京帝国大学に進んだ花森とともに、当時6万部を発行していた「帝国大学新聞」(東京大学の学生新聞「東京大学新聞」の前身)の編集に携わる。当時の編集部員には、他に田宮虎彦扇谷正造岡倉古志郎杉浦明平などがいた。

東京帝国大学仏文科を卒業後、三省堂宣伝部、文部省社会教育局映画課を経て、昭和16年、日本出版文化協会にはいり、機関紙「日本読書新聞」の編集長として書評新聞のスタイルをつくる。昭和24年、図書新聞社を設立、「図書新聞」を創刊した。

1975年、経営難と金策を苦にして中野区の自宅にてガス自殺した[1]

著書

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  • 出版の先駆者 光文社 1969
  • 戦後出版の系譜 日本エディタースクール出版部 1976

脚注

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  1. ^ 船瀬俊介「『暮しの手帖』をつくった男 きみは、花森安治を知っているか?」